| 2003年 2月26日(水)
やっと書けます。
ジョージ・ハリスンの「ブレインウオッシュト」
今日はその中から、アルバム一曲目の「エニーロード」をお薦めです。
ご存知の通り、このアルバムはジョージ・ハリスンの遺作である。ひょっとするとまだまだ発掘作があるのかもしれないけれど、今のところこれが最新作&最終作である。
なんで大好きなジョージなのに、しかも遺作なのに、出てすぐ書かなかったのは、あまりによすぎて自分の中で対象化する言葉がなかったのと、もうひとつ、「遺作」という思い入れが強くて冷静になれなかったというのとの二つだ。
出たのが去年の11月だから3ヶ月あまり。
かなりよく聴く。ヘビーローテーションといっていい。
瑞々しい。
亡くなる予感、などどこにもない。
でも、レコーディング中のある時点からはひょっとしたらそういうことも覚悟していたかもしれない作品である。でも70年代半ばの頃より、よほど元気もあるし、前向きだ。素晴らしい。
このアルバム、駄曲捨て曲の類は全然ない。どの曲もよいです。掛け値なく。
今日はなぜ一曲目かというと、ジョージの大きなルーツである、カントリーを正面切って取り上げていて、しかも(僕のあまり好きでない)カントリーくさくない、見事にジョージ色に染め上げられた曲だからだ。
もう曲のスタイルとか形式とか、関係ないところへ行ってしまっているのだろうな。
新鮮なのに、とろけるような味わい。矛盾するような二つが溶け合っている。芳醇、といってもよい。
「クラウド・ナイン」からなんと15年ぶりである。
でも15年は必要だったのかもしれない。この芳醇を生むためには。
ファイトが湧くよ。
もちろん僕などはまだまだ師匠の足元にも及ばないのだが、(ちなみに僕が師匠と思っているのはジョージとキンクスのレイ・デイヴィス、そしてニック・ロウの3人である)自分の中の豊かさをすべて音に投げかけるような、こんな曲が作れるまで、やり通すよ。
そこに行くまでには、僕自身がもっと豊かな人、って奴にならなければいけないのだろうけれど。まぁ、それはおいおいに。ね。
2月25日(火)
ハンク・モブレーの「リメンバー」
1960年のアルバム「ソウル・ステーション」に収録。
ハンク・モブレーは実際にプレイを聴く前に、文字からの情報が先行していた。
マイルズ・デイヴィスの自伝で「ハンク・モブレーとプレイしたときはイマイチだった。」という文章に接したのが最初だ。その後も音よりも前に、「下手だが、味がある」だの「B級テナーサックスのチャンピオン」だのロクでもない評ばかり目にしていた。
最初に音で聴いたのは、やはりマイルズのアルバム「ライブ・アット・ブラックホーク」である。ついで、「サムデイ・マイプリンス・ウィル・カム」。
どちらもアルバムもハンク・モブレーのプレイは格別印象に残らなかった。僕的にはマイルズと一緒にプレイして一番印象に残っているのはキャノンボール・アダレイなので、ちょっと、格が違うかな、という気もした。
ここまでは全然、僕の気持ちに引っかからないプレイヤーだったのだ。ハンクは。
しかも、情けないことにいろいろなところから植え付けられた先入観に支配されていて、自分の感性の判断ができていなかったのだ。
そんなハンク・モブレーのアルバムをなぜ買ったのかというと、単なる衝動買いだ。
ジャケットのイメージがよくて値段もセールの棚に入っていて2割引だったからだ。
「ソウルステーション」を聴いてみた。
いいじゃん。
すごくいいじゃん。
まろやかさと、ブルース感覚の程良いブレンド。
マイルズとの共演でよくなかったのは、「マイルズ・デイヴィス」という器との相性の問題だったのだ。
というか帝王マイルズが、求めていたものと、ハンクの持ち味があまりにも食い違っていたのだろう。
これはしょうがない。
元々が無い物ねだりだし、明らかに違う土俵で勝負したハンクに魅力がないのももっともな気がする。
また、ハンク・モブレーB級テナー説(結構あちこちで見かける)というのも、よく分からない。
確かに早弾き(サックスは早吹きというのかな?)のようなことはしない。それに結構タメが多い人だから、それがモタリ気味に聞こえるのかもしれない。(マイルズはもたるのは嫌いだと、先の自伝に書いていた)
だが、あのブルース・フィーリングといい、まろやかな音色といいどこが下手なのだろうか?
もたったように聞こえるのも、あれは断言してもいいけれど、分かった上でぎりぎりまでタメているのである。それをコントロールしてできるというのはタイム感、リズム感に優れている証拠なのではないだろうか?
そしておそらく、ハンクが好きな人というのは、あの独特なタイム感も含めて好きなはずである。
豊かでハッピーな音楽だ。
しかも大人だ。
酸いも甘いもかみわけた、というのはこういう音楽だと思うよ。
よかった、ちゃんと自分の耳で判断できて。
2月18日(火)
あまり、ビデオで映画を見るのは好きではないのだが、久々にに見たビデオでの映画「ミスタールーキー」
映画館での上映の時、気になっていたのだが、見に行く余裕もなく、気がついたらロードショウも終わってしまっていたのだ。
長島一茂主演、タイガーマスクを被った謎の覆面投手「ミスタールーキー」が阪神タイガースに入団して大活躍、と、主演者とストーリーの出だしだけでも、「ださ」と思ってしまう人もいるかもしれない。
ところがどっこい。
結構いいのだ。面白いのだ。
元々野球もの、にはちと点が甘いのでそこを割り引いて考えても、なお面白い。
ストーリーについてはお約束として語らない。
「失われた夢の復活」を描いた映画だ。そしてそれは復活、というところに留まらず新たな夢を生み出しながら転がっていく。戦っていく。
根が浪花節なワシは弱いのだ、そういうのに。
一度は捨てた夢に不安を抱えながらも、そしてともすれば衰えつつある気力と体力にむち打って、トライし続ける。
格好いいじゃないか。
もちろんその過程はかっこよくなんかない。泥臭くていじましい。
でもそこは、そういうヘビーな場面は普通に生きていても、「必ず」やってくるのだ。
そこを乗り越えるのか、乗り越えられないのか。いやそれ以前に、戦うのか、逃げるのか。
なぜ、今の僕が野球にこんなに入れ込むのか、こうして振り返ると分かる気がする。
小学生の頃、僕は野球が大好きだった。見る方もやる方も。
地域の少年野球チームに入り、一生懸命やっていた。
チームはやや弱い方。僕はそんなチームの中ではまぁまぁ上手い方だった。(けしていちばんではない)
中学にあがったとき、部活動というのがあるが、そこでは野球部を選ばなかった。
野球部は大人気で、入部者も多く、また運動部にありがちなしごきの噂なども聞いていたので、僕はハナから投げてしまったのだ。「これじゃ、レギュラーなんてなれっこない」
今のオレなら、当時の自分に言うよ。
小学校から中学へ入り立ての奴同士、上手いっていってもたかがしれてる。好きならやってみなよって。
ところがあまりのライバルの多さに恐れをなした僕は、戦わずして自ら道を閉ざしたのである。
僕は陸上部に入り、そこそこ楽しくやっていた。もちろん自分なりにがんばっていたと思う。3年間続けたのだから、そこから逃げたわけでもない。もちろん当時は野球をあきらめたことに、わだかまりも悔いもなかったし、逃げたとも思っていなかった。
だが、それは今思うと結構尾を引いていたのだ。そう、今だから思うのだけれど。
その後の人生、僕は結構、要所要所で「逃げて」きた。
「オレは今まで逃げたことがない」などと胸を張っていう人を見ると、ほんとに眩しい。目がくらんで倒れてしまいそうである。
逃げることにはいろいろな弊害があるのだが、(そしてもちろん逃げざるを得ないときもあるし、負けることを体得するというよい点もあるのだが)一番分かり易く、かつ、後々実害を伴って現れるのは、「逃げ癖がつく」ことだ。
ある程度大事なポイントで、物心ついてからでは、最初の「逃げた」である。野球部を選ばなかったのは。
野球に関しては見るのはともかく、「自分でやる」に関してはもう道はさほどない。
もちろん楽しみでやる分には、「地域の草野球チームに入る」などという手段はあると思う。
そこで無理のない範囲で楽しみながらやればいいのだ。
でも、それは多分しないと思う。
そこまで時間とエネルギーをさく気は今のところない。
今、僕にとって大事なのは、バンドと音楽だ。
仲間と演奏することと、作曲すること。それを形として残すこと。
本当に大事なことだ。
これは一生続けられると思う。
逃げないし、逃げる必要もない。
38年生きてきて、音楽始めてからでも23年たって、やっとそこまで思える今は、しあわせなのだろう。
持っているエネルギーをすべて注入だ。
横浜スタジアムや神宮球場のデイゲームを見に行く。
球場の階段を上がり、芝と、練習をしている選手を見ただけで、涙ぐみそうになるときがある。その正体はこれだったのだ。確実に終わってしまっていて、もう二度と戻れないことを暗に知っていたからなのだ。
野球は僕にとっては、「完全に終わった夢」だ。
野球の場では、僕は本格的に勝負を賭ける前に「引退」してしまった。
音楽も半端なところで、一度リタイヤしている。
でも帰ってきた。
誰に言われたわけでも、望まれたわけでもないのに帰ってきた。
今、ハロロックという素晴らしいバンドを組んでいる。
引退、はないぜ。はっはっは。
2月17日(月)
なぜ、ソウルジャズは聴いていてこんなに燃えるのだろうか?
ジャック・マクダフとグラント・グリーンの共演している、つまり僕にとっては夢のように美味しいアルバムなのだ。
「グッドナイト・イッツ・タイム・トウ・ゴー」
もう、CDをかけはじめて30秒で大笑いしてしまった。
「アホだ、この人達...」
この時期グラント・グリーンは共演する人によって、表情を変えているけれど、やはり1961年に限って言えばジャック・マクダフとの共演ものが一番カッコイイ。(後年になると、ジョン・パットンやイドリス・ムハンマドがキーパーソンになってくるのだが)
このアルバムはジャック・マクダフ名義なので、ジャケットも当然「ブラザー・ジャック」ことマクダフ兄ぃがタバコを吹かしながらアップで写っているのだが、これがまたえらくカッコイイ。
この人、実際はどんな人だったか分からないけど、ジャケットで見る限りではかなり「ワル」そうである。
きっと「悪人」ではないけど、でも「いかがわしい」人だったに違いないと思わせるルックス。
このジャケットだけでもこれは買いだよな。
そんな人が出す音だから、品行方正とは180度逆な音がぶりぶりうなっている。
エロ、とはちょっと違ういやらしい音。いいね。
しかし、こんなのを土曜の夜のクラブか何かで、実物を見たら腰抜かすだろうな。これは残念。なにせ二人ともなくなってしまってるからな。
音楽的に深い、などと言うことは全然なく、ただ、ひたすらかっこよくて泥臭くてでも都会の音でリフレインの嵐で...とそういう音楽だ。
まさに「楽しい音」だよ。
うーん、もう大好きだぁ!!
2月10日(月)
今日も本でいこうかな。
前回は岡本太郎のことを書いたけれど、今日はそのお母さんの岡本かの子のことを取り上げた、瀬戸内晴美(今は出家して寂聴さんだな)著「かのこ僚乱」
この岡本かの子、太郎の親子は、母・子、共に偉大な作品を残した芸術家。しかも父親の岡本一平は日本における漫画家の草分け、という親子3人それぞれが歴史に残るような、とんでもなく凄い家族である。
そんな芸術家達だから、もちろん各人がとんでもなく個性が強い。
そのなかでも、母・かの子は一番強烈である。
「かの子僚乱」は書いている瀬戸内晴美の筆力もあるのだが、この人自体が面白すぎる、というか強烈すぎる。
かの子は昭和初期に活躍した歌人/小説家なのだが、歌人としての評価は若い頃から確立していたものの、本来目指していたのは、小説だった。
そして小説家として花開くのは49年という、けして長いとは言えない生涯の最後の5年間である。
僕は岡本かの子の小説はまだ読んだことがないので、彼女の作品について語ることはできない。
だが、この伝記小説を読むとかの子の波乱に満ちた生涯は、最後の5年間に作品を書かせるがために存在したように思える。
若い頃からのもの凄い勉強。何とも不可思議な、そして奥深い、夫公認の恋の遍歴。醜女、とも言われてしまうような、あくの強い顔。
ある面から見ればわがまま放題。
だが、別の面から光を当てれば、童女のような純真さと天真爛漫。
「業」の深さ、というようなものを深く感じた。
女という業。
書くことへの業。
そして瀬戸内晴美という人のペン越しに、岡本太郎の作品達と同質の混沌と渦巻くエネルギーを感じた。
実際にかの子の作品を読めばそれがどういう形で展開されているか、よく分かるだろう。なんか読んでみなきゃな。
2月7日(金)
今日は久々に本で。
岡本太郎の「今日の芸術」
大上段に振りかぶっている。
なんたって「今日の芸術」である。
生半可な人ではつけられない。
だが、書いているのは『岡本太郎』である。
あの芸術は爆発だ!の太郎さんである。グラスの底に顔があったっていいじゃないかの太郎さんである。
我が相模原市の西門通り商店街にも岡本太郎作のオブジェが燦然と輝いている。
昭和29年の本だから、風俗を描いているところなどは、確かに古い。
それはほぼ50年前だから仕方がない。だが、このほんの肝である、芸術について述べているところは今だって生きている。
この人の絵やオブジェなどを見て素直に感じるのは「エネルギーがうごめいている」姿だ。
もう噴火寸前のマグマのような。
それはこの本からも満ちあふれている。
芸術は
きれいであってはいけない
上手であってはいけない
心地よくあってはいけない
自由であれ
生きるエネルギーを解き放て
ということをいっているのだと思う。
昔、高校時代に読んだ記憶はあった。よかったという記憶はあるのだが、どこがどう、というのは忘れてしまったまま、その本自体もなくしてしまっていた。
久々に再版されているのを見て嬉しくて買ってしまったのだが、これは今、出会うべくしてであったのだな。
ハネ、のばさなきゃ。
喜んで演奏しなきゃ。
ほんとはそう思うこと自体、既に縛られているのだろうけど。
初めてギターを買ってコードGを鳴らしたときの開放感。今でも心に残っている。どこまでも突き抜けるような、おおらかなコードG。
かくありたし。
1月14日(火)
年を取れば取るほど、年月のたつのが早く感じられる。
僕はレコード収拾癖があるので、多分人よりは多くレコード・CDを持っていると思うのだが、最近ふと、疑問に思った。
持っているアルバムのウチ、聞き込んだと言えるのは何枚あるのだろう?
多分30枚くらいのものだ。
としたら、他の470枚くらいは何のために持っているか?
・1〜3曲くらい、好きな曲がある
・曲はよく覚えていないけど、全体の雰囲気や流れが好きだ。
のどちらかだ。
よく聞き込んだ、といえるくらいのアルバムなら、ほぼ全曲頭に浮かぶが、聞き込んでいないアルバムだと「よかった」という印象だけで、他は何も憶えていなかったりする。
やっと今頃気がついた。
もったいないじゃん。
いい印象が残っているけど、よく聴いていないアルバムなら、そいつをよく聴き込めばいいじゃん。新しいのを次から次へと買わないで。
と、ティム・ハーディンのアルバムを久々に聞き返して「イフ・アイ・ワー・ア・カーペンター」っていい曲だなぁと実感して、そう思った。
これで、レコード収拾癖に少しはストップがかかるか?
明らかに今の状態だと、「聴くこと」より「買って手元に置くこと」に意義がある状態だモノな。
そんな当たり前のことに気づかせてくれたティム・ハーディンの「イフ・アイ・ワー・ア・カーペンター」をお薦めです。
滋味の溢れるよい曲ですよ。
1月9日(木)
自分の役割、ということを時々考える。
自分が何をするべきかということだ。
正直に言って2000年になってからこっち、ずっと、このことは頭の隅にある。
相模の風レコードを始めた時の動機。それまで掃除屋さんを4年ほどやってきて、ある程度のポジションまではやってきた。その時に「今後もこれでいいのか?」と強く思った。「このままでいいのか?」と。
よくない。
それがその時点での思い。
自分が思いっきり燃えられることってなんだろう?
そう思う、ということは掃除の仕事ではそこまで燃えられなかったのか?そうなのだ。燃えられなかったのだ。
結構好きだ。一応プロ、と名乗るだけの力、知識はある。道具だってちゃんと持っている。
嫌いではない。やっていてまぁまぁ楽しい。でもそれ以上のモノを見いだせなかったのだ。
もちろん、僕より上をいく掃除屋さんもたくさんいることだろう。それは知っている。
では、自分が今以上の掃除屋さんになりたいのか?
それはどうも違う気がした。
もちろん食べていく、というのが最優先課題だ。今だって、続けている。この仕事に感謝の気持ちも持っている。
だが、これだけを一生やり続けるわけにはいかない、と強く思った。
相模の風レコードを始めたときは、もちろん真剣だった。
世に認められていない、優れたミュージシャン達をバックアップする。
そしてそういう彼らを売り出して、稼ぐ。
何も問題はない。
その道を突き進めばよい。
でも、そうはいかなかった。
自分の演奏する音楽も配信する、というのも相模の風の目的の一つだった。
いざ、ライブなどをやり始めると、これが無茶苦茶面白い。
4年半ほどライブ活動を休んでいたが、休む前よりも全然いい。
相模の風を縮小したのには色々あるが、一番大きいのはこれだ。
自分の演奏、自分の生み出す楽曲、こちらの方が大事になってしまったのだ。
相模の風を始めた時点で、これはよく考えるべきことだった。
自分のミュージシャンとしてのエゴがこんなに強かったとは。
でも、心の底では知っていたのだ。「世に知られていないミュージシャンを押し出す」という「大義名分」の魅力も大きい。しかし、それは自分のミュージシャン的エゴを殺さなければできない。そんな大層な人間ではなかったのだ。
それを心の一番そこでは感じつつ、押し殺していた。
あげく、結果はご存知の通りである。
他のミュージシャンをプッシュする、という仕事はまっとうできず、相模の風の規模を大幅に縮小した。
「自分のことしかやらないよ」という風にしてしまった。
でも、これで大正解。
だって、時間も精神的エネルギーもこれで目一杯だもの。
38才はやっぱり色々考えてしまう。
やり直しはもちろんまだきく。
でも、20才の人に比べたら、選択肢と時間は明らかに少ない。
「自分が心から打ち込めて」
「大変なことがあっても切り抜ける気持ちがあって」
「これを仕事とすることで、何らかの形で喜んでくれる人がいて」
これが僕の仕事に向かうポリシーである。
掃除の仕事では、なんのかんの言いつつもある程度のところまでは、上の条件をクリアしていると思う。
音楽屋としてどうなのか?
まだまだ全然足りない。
それは分かっている。
あんまり大袈裟に構えることもないとは思う。
でも、やる以上は全身全霊という状態になりたい。
だって、それはとても気持ちいいことだから。
過去の僕が、そういう状態になったのはほんの数回だ。でも、その状態で何かをやり遂げたときの達成感はちょっとは知っている。
そういう喜びをつかみたいよ。
そしてそれは遠い道を行かなければ届かないのだろう。
少なくとも天才ではないこの僕には。
今日はもの凄く長くなってしまった。
びっくりした?
肩肘張らず、でも地道に積み重ねていきます。
今日のお薦めはそんな今の僕にぴったりの曲だ。
ビートルズの、いや、ポールのヘビー級のメッセージを軽やかに歌った曲「キャリー・ザット・ウェイト」だ。
1月3日(金)
昨日、いしはらかっぱ新年恒例の「歩け歩け大会」を敢行して参りました。
今年は多摩川べり。
小田急で登戸まで行ってそこから多摩川へでて、川沿いに歩く。
今年は歩き始めた時間が遅かったので、(12時だったので)無理はしない。とりあえず、東急東横線まで行けたらということで、歩き始めた。
天気は快晴。でも風がもんのすごく冷たい。耳がちぎれそう。
ひたすら歩く。
僕は歩くのは好きなので、全然退屈しない。ぼけっとした頭で色々と、つらつらと考えながら歩く。
なぜかキンクスの「ローラ」が頭の中でリフレインし始める。
今日のテーマソングはローラで決まり。
ハロロックは今年はどうなるんだろ。
いやさ、どう展開させていったらいいんだろ。
などなどと。
途中あまりに寒いので、尿意を催す。
川縁の、藪のそばで用を足す。新年早々河原で立ちション。
もちろん気分はいい。爽快である。
開放感。
歩き始めて2時間ちょっと多摩川を渡る東急線の陸橋が見えてきた。「よしあそこまで言ったら今日はOKだ。」
歩き始めたところから、11Km。2時間ちょっとで11Kmならまぁ、いい方だろう。それに別に記録のために歩いているわけでもないし。
途中、ちょっといいことをした。自慢。
河原で凧を揚げていた幼い姉弟の弟が、どうも凧を持っていた手を離してしまったらしい。凧が糸巻きごとずるずる走っていく。
僕の30mくらい前だ。
イシハラ走って追いつく。
あと3m行ったら、凧は車道にでて車にひかれていたところだった。糸巻きをグルグルまき、凧を手元に引き寄せ、姉弟のところへ持っていく。
「ほら、大丈夫だよ。手離しちゃダメだぜ。」
弟はびゃーびゃー泣いていたのが泣きやんだ。
お姉ちゃんはその弟を必死でなだめていたのだが、ほっとしたようだ。「ありがとうございます」推定7才のお姉ちゃん。
いしはら、クールに決めてみたんだが、どうだった?
東急の線路を越えたところで、予定通り、川辺の道を外れ駅へ。
新丸子駅。
駅の構内に入り、風のないのにほっとする。
マクドナルドで、熱いポタージュスープを飲む。うむ。
生き返る。
このまま帰ろうか。でもまだ2時半だしな。
よし、横浜へ行ってCDを漁ろう。
で、新年一発目に購入したのがパーラメントの「アースライブ」、
アース・ウィンド&ファイアーの「グレイテストヒッツ」、アル・グリーンの「シャララ」である。
70年代のソウル/ファンクでそろえた。
今年の僕的テーマはお祭り・和風・踊れる音である。
そう、歩いている途中になんとなく思った。神の啓示、というほどのモノではない。でも、こういう直観は正しいのだ。
これらのCDを買ったのだって、別に決めていたわけではなかった。
衝動的に横浜のHMVへ行って、CDの棚を観ているウチに、なんとなく手に取ってしまったモノばかりだ。これも直観。
今日はそんななかでもべたべたなアース・ウィンド&ファイアーの「セプテンバー」をお薦め。
ちゃんとアースを聴くなんてよーく考えると中学以来だ。
別に嫌いなわけではない。
ディスコへよく行っていた頃は、「ファンタジー」とか、かかると狂喜乱舞していた。
「レッツ・グルーヴ」とかもヒット曲として好きだった。
嫌いじゃないけど、わざわざCD買うほどじゃない。すごい、クオリティが高いのは認めつつも、「いつでも買えるじゃん」と思っていたからかもしれない。
で、多分中学以来で。
じっくり聴くと。
よいんだこれが。
なんで気づかなかったんだろ。いわゆる、ソウル、R&Bだって大好きなのだから、どの時点で買っても、まず、気に入っていたはずだ。
でも、これも出会いだよね。
15才の頃にヒット曲としての「ファンタジー」や「セプテンバー」にであい、いいと思いつつも、わざわざ買うこともなく、それから20年以上も経ってその音を買って、じっくり聞き込む。
その良さをシンから味わう。
考えてみたら贅沢なことかもね。
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