| 1月29日(火) 惜しくも活動を停止してしまったCocco。
といってももう、1年くらいたつが。
僕は彼女の熱心なファンなわけではないので、その理由は知らない。まだ、かなり若いはずだから、少し休んで、歌う気になったらまた、戻って欲しいのだが。
彼女の「Raining」
かなりどろどろした、生々しい歌詞なのにそれを裏切る、透明感と切なさのある曲調。
しかし、サウンドとヴォーカルから漂ってくるのは、まぎれもなく死の匂いである。
わりと、この手の感覚には敏感なのだ、ワシ。
ジム・モリソンともある種共通するような、向こう側を万華鏡で覗いているような感覚。現実に対する違和感。
多分、彼女はこう歌わざるを得なかったからこういう風に歌ったのだろう。
吐き出したのだろう。
それは身を切る思いだったのだろう。
でも、外へ出さなければどうしようもなかったのだ。
彼女はどのような気持ちで、活動を停止したのだろうか?
祈・復活。
1月26日(土)
ついこの前も取り上げたが、今日もデビッド・ボウイ。
最近彼のジギー時代のアルバムをよく聴いている。「ハンキードリー」から「アラジンセイン」までのアルバム。
特によく聴くのは「ジギー・スターダスト」時代の最後のツアーのライブ・アルバム、「モーションピクチュア/ジギースターダスト」である。
はっきりいって音質もミックスも、よくない。海賊版すれすれというか、下手すると海賊版だってもっと音のいいのがありそうな。
そして演奏もかなり粗いし、ところどころ、明らかにへぼいところもある。
にもかかわらず、これは大好きなアルバムだ。
野蛮なロックンロールのエネルギーに満ちているからだ。
冒頭の3曲など、そのままパンクの呼び水になっていると思う。
この編成での最後のライブということもあるのだろうが、気合入りまくり。
そしてそこでラスト、ということはその時点に至るまで、もめたりもしたのだろう。このライブの時点だってひょっとしたら、むしゃくしゃすることがあったのかもしれない。
粗いが、つんのめったような勢いで、突っ走っていく。
多分当時のボウイは、ドラッグもキメまくっていただろうし、気持ちもぐしゃぐしゃ。エネルギーの源泉はどちらかというと、そういう暗いところからでてきていたのかもしれない。
にも関わらず。
演奏から感じるバイブレーションはとてもポジティブなものだ。
聴いていると、元気になる。
明らかに盤面越しにエネルギーをもらっている。
「青さ」が泥水の中を転げ回っているような演奏だが、「へっへっへ」と意味もなく笑ってしまう。
色々迷ったり考え込んだりしているときに、何となく手にしたこのアルバム。
ジャストのタイミングで僕の中に入ってきた。
ありがとう。デビッド・ボウイ。
1月22日(火)
ロネッツの「ビー・マイ・ベイビー」
ロネッツのというより、フィル・スペクターの、といった方がいいかもしれない。
そんなフィルの「魔法のポップス〜ウォールオブサウンド」の魅力を詰め込んだ曲だ。
ドリーミー、楽しい、微妙に切ない。
歌詞が分からなくても、(ま、大体は想像つくけど)そのメロディから、サウンドから、アレンジから、リズムから、ビタースウィートがにじみ出てくる。
ビーチボーイズのブライアン・ウィルソンはちょっと精神状態がイっちゃっているときに、この曲のシングル盤を枕元で、エンドレスでずっとかけていたそうである。この曲をどうにか越えたい一心で。
ブライアン・ウィルソンなら、十分にこの曲に匹敵するような曲をたくさん作っているし、僕的にはフィル・スペクターよりブライアンの方がソングライターとして好きなのだが、本人にはずっとコンプレックスだったらしい。
で、おこがましいがこの僕も。
この曲を越えたいと思っている。
永遠に残るドリーミーでビタースウィートな曲を。
最近曲を作るのが面白くてしょうがない。
心に引っかかるメロディを、どこまで深いレベルで作ることができるのか。
「黄金のメロディ探求作戦」はまだまだ続く。
1月16日(木)
レニー・クラビッツは好きだ。
今回のニューアルバム、「レニー」もロックなアルバムだ。
だが。
いつもレニーのアルバムを聴くとほんの少しだけ物足りなさを憶える。
レニーは基本的に「宅録」の人である。
今回のアルバムもかなりの部分を彼一人の演奏での多重録音で作っている。
でも曲の大部分はいわゆる「ワイルド系ロックンロール」である。
少なくとも音の外面は。
こうした音の場合、どうも無理があるのだ。
彼はプレイヤーとして無茶苦茶上手い、訳ではないが、リズム感は非常にしっかりしている。(ひょっとしたら録音後にコンピュータで調整したのかもしれないが)それはもちろん、プレイヤーとしてはよいことだし、重要な要素なのだが、彼の場合いささかそれがまとまりすぎて、曲が本来持っている、そしてレニーが本来持っている音楽的野蛮さを、殺しているような気がしてならないのだ。
それは現在のこの業界でレコーディング・アーティストとして活動する以上、仕方のないことなのかもしれない。
だが、たとえばローリングストーンズの「メインストリートのならず者」に見られるような、ロックバンドならではのグルーヴ感とはだいぶ違う。
多分彼は、アレンジャー的な資質の方が「ロックンローラー」的な部分よりも強いのだろう。だけど、根っからのポップ野郎には、あるいはデジタル小僧には、どうあがいてもなれない。
その彼自身の中に存在する、色々な要素の葛藤が音にでているのかもしれない。もっとも本人もそんなことは承知の上かもしれないけれど。
そして一ファン、一リスナーとしてはそのぶれ具合が面白い。
しかし。
たまにでいいからさ。リズムなんか多少ずれても良いから、音程なんか外して良いから、はじけまくったレニーも一度見てみたいよ。
祈・ぶっちぎりのレニー。
1月9日(水)
デビッド・ボウイは、僕の中では微妙な位置の人である。
この人は才能はあるが、日和見しすぎ、な人だ。
もちろんそれは悪いことではない。
なんのかんのいわれながらも、30年以上ロックの第一線で生き延びてきたのだ。すごいことである。
リアルタイムで聴いたボウイはアッシュス・トゥ・アッシュス」、そして「レッツ・ダンス」のころである。
だが、僕にとって魅力があるのは、やはり、「スパイダース・フロム・マース」時代のものだ。この頃のボウイはミック・ロンソンのチープなギター・サウンドと相まって、実にかっこよかった。ルックスもホントに宇宙人みたいだったし。
そしてこの頃の楽曲。
ポップなのだが、妙に歌謡チックなのだ。メロディが。
結構ウェットなメロディで、そこが気に入るときもあれば、妙にかゆかったりもする。
そんな中でも歌謡臭が強く、なおかつカッコイイ曲。
「世界を売った男」
これは原題の「The man who sold the world」より邦題の方が断然カッコイイ。
この大袈裟なタイトルにそぐわない、妙にウェットな泣きメロがまたいい。
ルルのカバーバージョンもよいできなので、要は楽曲の勝利なのだろう。
もう、今さらボウイでもないのかもしれないが、この人はどう考えても年取ったからといって味の出るタイプではない気がする。
もうあと何年もないだろう。
最後に何か一発かましてくれよ!
頼むぜ。
1月7日(月)
ジム・モリソンの「アメリカン・プレイヤー」
これはドアーズ、ではなくジムモリソン&ドアーズ名義だ。
どういうことかというと、ジム・モリソンの詩の朗読のテープに、彼の死後、残ったドアーズの面々がBGMをつけた、というシロモノだからだ。
そんなの、たいしたことないものに決まってる、と思うでしょ?
僕だって買ったときの動機は、ドアーズ好きだし、これを買えばドアーズコレクションが完全に揃うからな、というミーハー的動機でしかなかった。
でも。
これが結構「キテル」んだなぁ。
当然英語の詩の朗読だから、ぼくなんかには歌を聴くときよりも、ぱっと聞いて伝わってくるものは確かに少ない。
だが、彼の声自体に魔力がある。
詩の意味が分からなくても、ひきこまれる。
ひょっとしたら、ラップに非常に近いのかもしれない。
ドアーズの面々がつけているBGMも「BGM」の領域を越えて機能している。
ちゃんと「詩」を盛り上げたり、煽ったりしているのだ。
声、語りだけで、これだけのものを引き出してしまうのは、ジムのアーティストとしてのパワー以外の何者でもない。
なにせ彼は既に死んでいたのだから。
そんな声の魅力に浸るのも悪くない。
ジムは十分に美しく、狂気に満ちた水晶の船をこいで、今夜もやってくる。
1月1日(火)
あけましておめでとうございます。
なんと言っても新年一発目である。
暗い唄は避けたい。
染の助・染め太郎ばりの、みるからにハッピーなやつを。
新年の新しい空気にもふさわしい曲だ。
ヤング・ラスカルズの「ビューティフル・モーニング」
まず、このグループ名が好きだ。
自らヤングと名乗るか?普通。しかも彼らはどう考えてもマジ。
でもそれにふさわしい、青くしかも、切ない音を出している。
この「ビューティフル・モーニング」希望に満ちている。
もちろん挫折や失敗の苦みを知っている上での希望だ。
滲みてくる。
心が洗われる。
その上、希望だ。
いつも、今日こそは新しい夜明けを、と思っている。
その通りになれるときは、たまにしかないかもしれないが、そんな夜明けを迎えたときの高揚感も知っている。
今年はその希望を現実に引き寄せるよ。
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