かっぱの今日のお薦め
ほぼ毎日更新!!!

当「相模の風レコード」の管理人をつとめる、そして楽曲掲載ミュージシャンでもあるQuappaがその日の気分で音楽や映画、本などを紹介していきます。
今までの各月の分は、それぞれファイルにまとめました。

 

過去の「かっぱの今日のお薦め」を見る 

2000年  9月 2000年 10月
2000年 11月 2000年 12月
2001年  1月 2001年  2月
2001年  3月 2001年  4月
2001年  5月 2001年  6月

 

2001年

7月31日(火)

今日は特別に。
下の書き込みを見てもらえるとわかるけど、女にフラれちゃった奴がいる。
そんなときにどんな音楽が効くか?
できれば、みんなもそういうときのお薦めを書き込んでみて欲しいな。
「女にフラれたときに聴く歌」

うーん難しいなぁ。
何がそういうときに効くのだろう。
直接的にそういうことを唄っている歌ではないが、ワシのお薦めは、ローリング・ストーンズの「ワイルド・ホーセズ」
なんともいえない無常感が溢れている。
一説によると、ヤクにおぼれてどんどんダメになっていく、自分の恋人のことを唄っている(ミックなのか、キースなのか?)らしい。
死と隣り合わせの無常である。

終わってしまったものは帰らない。
それが身につまされるように滲みてくる歌だ。
半端に「元気出せよ」なんて歌を聴くより、100倍効くな、この無常感の方が。
1971年。アルバム「スティッキーフィンガース」収録。

そして今日はもう一つ。
矢野顕子「スーパーフォークソング」
これはアルバムごとお薦め。
とくにどの歌が失恋に効く、というわけではないのだけれど、そういうヘビーな状態の君を「癒す」のではなく「甘えさせてくれる」はずです。
ちょびっと甘えてからでいいんじゃない、立ち直ろうとするのは。

7月29日(日)

かっぱは、夏サウンド大好きである。
ビーチボーイズ、ハーブオオタ始めハワイアン、ジョアン・ジルベルト、アントニオ・カルロス・ジョビン...etc.

そこで、今日は何を持って「夏サウンド」なのか考えてみた。

まず、メロディ。
これは最低限、メジャー・キー。
マイナーな曲での「夏の歌」かなり辛いような気がする。
というか、思いつかない。
逆にこれで作れたら、いい曲ができたら、それはそれで凄いかも。
今度やってみよう。
また、部分的に転調などが入るケースも結構夏のかんじ(というか涼しいかんじ)を醸し出しているようだ。

リズム。
これはタイトさ、よりも大きくうねる感じだろう。
あるいははねる感じか。
重いのは多分ダメ。ジョン・ボーナムがあのZEPのリズムのまんま、サーフィンソングをたたく姿を想像すると...

サウンド。
多分これがいちばん大きいのではないのだろうか?夏っぽいかんじを構成する要素としては。
適度な音の隙間、そしてコーラスの多用。
ある程度のリバーブ感、音の拡がり。
デッドなサウンドだと、どうも、泥臭い方面にいきがちである。
また楽器の選択も大きい。
例えば、ウクレレが入ればそれだけで、夏感2割アップである。

と考えていくとどうも夏感、というのは暑さを感じつつも、それを和らげる涼風、つまり木陰のイメージなのかもしれないなぁ。カリプソやキューバの音楽などもなども暑いけど、あまり涼しくない感じがするもん。時に暑苦しい。
もちろん、音楽の質はまた別なのだけれど。

で、今日は誰を薦めるかって?
なんと、ジョージ・ハリソンである。
なんでぇ??
という人も多いかもしれない。
でも、彼の「ゴーン・トロッポ」というアルバムの表題曲を聴いてほしい。
見事に夏だぞ。
これもこのアルバムを作った頃、ジョージはオーストラリアに住んでいたらしいから、そういうのも影響しているかもしれない。
ジョージのアルバムの中では、多分いちばん売れなかったアルバムだと思うが、少なくとも、夏物好きには非常によいアルバムだ。
上記の夏感を醸し出す要素ももれなく入っている。
結構、幸せになれるんだけどなぁ...

ま、上に書いたようなことをいちいち分析なんかしたらつまらなくなっちゃうだろうから、アタマをからっぽにして楽しんでください。
「ゴーン・トロッポ」で楽園だぁ。

7月26日(木)

チャーリー・ミンガスが最近気になってきた。
ジャズベースの巨人。
だが、ベーシストとして、というより、作曲者、レコーディングセッションにおける扇動者としてのミンガスに惹かれている。
まだ3枚しか彼のアルバムを聴いていないので、えらそうには言えないが、(でも、いつもえらそうだよね)彼の音楽は、少なくとも僕の聴いた3枚は、僕にある種の緊張を強いる。
流れの気持ちよさとか癒しとか、そんなものは全然ない。
引っかかりのありすぎる音楽だ。
高度に意図した部分と、それを知って知らずか、まんまとそれにノセられて、暴れまくる共演者達。知性を持って野性を引き出すその手腕。
それは流して聴く、というのを許してくれない。
途中のあるパッセージを聞き逃してしまうと、その次がまるで無意味になってしまうような。
だが、それはがちがちの音楽ではなく、とてつもない熱さと、ちょっとゆがんだユーモアに裏打ちされているのだ。
これと似た手触りの音楽をあげてみろ、といわれても、ちょっと思いつかない。
チャーリー・ミンガスの「ブルース&ルーツ」を薦めるよ。
ぎゃんぎゃんほえながら、ブルースのような、でももっと奥深くにあるものまで引っぱり出してしまっている音楽。
凄いです。

7月23日(月)

ウィルソン・ピケットから今度はいきなり「aiko」である。
ニューアルバムがでたばかりなのだが、その中から「ボーイフレンド」。
シングルカットされて昨年の暮れ頃、流行っていたと思う。

何に驚いたって、まず、バンジョーである。
この手の女性シンガーの曲で、間奏にバンジョーばりばりなどというのは、なかったはずだ。
すごいっす。驚き。
ま、そんなことで驚いてちゃいけないのかもしれないけど、やっぱり新鮮だった。これはアレンジャーの勝利か?

そして当然のことながら、メロディーがよい。
すごくよい。
彼女の歌/メロディには意図的なのかどうか分からないが、非常にブルージーな感覚がある。
いわゆるブルース系を唄う、ジャニス・ジョプリンがフェイバリット・シンガーです、というタイプの人はたくさんいる。
珍しくも何ともない。
だが、彼女のように、非常にポップなセンスをもちながら、かつブルージーという人はあまりいない。
ブルージーだからいいのか、といったらそんなことはないのかもしれないけれど、でも、今の日本の音楽シーンの中では貴重な感覚だと思う。

ブルース感覚とは歪んだ感覚であり、身も蓋もないけど、やるせない悲しみの感覚である。
それが音ににじみ出る人は「信用できる」気がする。
aiko、いけいけ!

7月22日(日)

ウィルソン・ピケットの「イン・ザ・ミッドナイト・アワー」
かっこいいとはこのことだ、と無条件に言える曲というのは確実に存在する。
この曲もそうだ。
1965年の曲だから、今聴くと確かにサウンドなどは古くさいところもあ
る。
が、しかし。MG’sをバックに従えた重くファンキーな演奏。ちょっともたり気味のドラムがめちゃカッコイイ。音と音の隙間が気持ちいい。
そしてもちろんヴォーカルのヘヴィさがカッコイイ。
個人的には、粗いところはあるけどこの時期に限って言えば、JBよりもオーティスよりも、ウィルソン・ピケットのヴォーカルの方がかっこいい。
ただ、70年代以降は失速してしまったけれど。(そこがJBのすごいところだ)
天然のシャウター振り全開である。

僕はとくにこの人の「アゥ」とか「ウッ」とか合いの手にはいるようなうなりが好きだ。
音楽の重要な部分には、全く関わっていないのだけど、聴く方にとっては魅力のひとつだ。(おれだけかな)
全てがカッコイイ曲だけどとくに今日は、この「ウッ」のところを強調してウィルソン・ピケットの「イン・ザ・ミッドナイトアワー」を薦めます。

7月19日(木)

ニーノ・ロータ、といっても知っている人は少ないかもしれない。
だが、その曲を一度も聴いたことがない、という人も少ないはずだ。
「ゴッドファーザー愛のテーマ」「太陽がいっぱい」「道〜ジェルソミーナ」等々。タイトル知らなくたって、普通に生きているだけで、これらの曲は50回以上耳にしている。
彼は偉大なる映画音楽の作曲家なのだ。

以前にも書いたことがあるが、劇伴音楽や映画音楽は音楽としては半端である。映像を説明/補足する役割の音楽が多く、音楽だけで聴くと「何じゃらほい」の状態になってしまうことがままあるのだ。
もっとも、その半端さが魅力でもあるのだが。
だが、メインテーマの曲ともなると違う。
普通のヒット曲と一緒で、メロディやサウンドが、いかに人の心に残るようなものか?が勝負になってくる。
そしてこのニーノ・ロータ、もう絶対抵抗できないような、心の奥深くまで達するようなメロディを繰り出してくる。
僕の苦手な「哀愁系」なのだが、そんな僕でも、人間の心の苦しみや悲しみのいちばん深いところからでてくるようなメロディには、抗しきれない。
そう、深いのだよ。メロディが。

こういう、ある地点から飛び越えてしまっているようなものを聴いてしまうと、表現という行為の恐ろしさを感じるな。
でも、その果実を僕らは苦しみも悲しみのなしで享受できる。
それは素晴らしいことなのだろう。
「ゴッドファーザー愛のテーマ」
ニーノ・ロータ・グランド・オーケストラで。

7月18日(水)

スティーリー・ダンは初期はちゃんとバンドだったのだが、アルバムを追うごとにどんどんレコーディングユニットっぽくなっていき、最後にはドナルド・フェイゲンとウォルター・ベッカーの二人組で、レコーディング・オタクチームになっていった。
一般的な評価は後期の「エイジャ」「ガウチョ」などが高いようだが、ワシ的には断然ファーストアルバムである。
まだ、バンド然としていた頃。
もちろん後期の完成度、きっちり作り込んだめくるめくような快感はない。
だけど、妙なラテンっぽいセンスを生かしたPOPナンバーの、イキがいいのだ。
特にファーストシングルにもなった「ドゥ・イット・アゲイン」
最高にいい。
下世話でアヤシイ雰囲気満載である。
こういった雰囲気は後期のスティーリーには皆無である。
うねりもグルーブも十分にある。
彼らは楽曲、アレンジの完成度と引き替えに、このファーストアルバムににあった活力を徐々に失っていくように思う。
難しいなぁ。
でもこれは楽しめるよ。
僕の大好きなキンクスのレイ・デイヴィスのような鼻づまり声もグッド。
「買い」です。

7月16日(月)

今日は久々のニューフェイスの新曲アップ。
MOOJA MOOJA(むーじゃ むーじゃ と読む)の「ONLY ONE PLACE」をMP3でアップした。

今までの相模の風にはあまりないタイプの、ジャジーでエレピを中心としたサウンドである。
隙間の多い、ゆったりとしたサウンド。
過剰ではなく、反対に抑制されたところに彼のセンスを感じる。
何度も聴いていると、滲みてくるメロディライン。
そしてソフトな曲調だが、歌詞に秘められたポジティブな意志。

夕暮れ時に小さなボリュームで聴いていると、フッと胸に迫るものがある。

今彼は、曲作り、レコーディングを中心に進めていてライブの予定などは、当座はないようなのだが、ちょっと惜しい気がする。
こういう「きちんとした大人サウンド」もライブで聴いてみたいものだ。
今後の曲も楽しみ。

ますは「風の歌を聴きますか」のMOOJA MOOJA のリンクから彼の曲を聴いてみてほしい。
お薦めです。

7月13日(金)

かっぱは今、バンドを動かし始めたばかり。
ワシのギター、ヴォーカル、PECOのドラム。u−taroのベースという、いわゆるギタートリオだ。
これは音の隙間が多い編成で、大変気にいっている。
レコーディングではわりと音を多く入れるが、ライブでは少ない方がいい。
多分一人一人が語る音、がきちんと聞こえるからだと思う。
そしてそれが絡み合って会話して戦って、アンサンブル!となれば言うことなし。
だが、さすがにそこまでは、我々はまだまだ遠いようだが。
でも始めたばかりにしては、非常に気持ちのよい音を出していると思う。

世にギタートリオ編成のバンドは数多いが、ジャムが好きだ。
リーダーのポール・ウェラーは今でもソロで活動して、素晴らしい音楽を作り続けている。
だが、最初に組んだジャムは格別だ。
ちょうど、パンクの勃興期。1970年代後半。
彼らのスピード感と前のめりなパワーは、いちばん自分にぴったり来た。
解散記念のライブ盤「ディグ・ザ・ニューブリード」はいい。
今聴いても熱くなる。
トリオならではの音の薄さ、絡み具合が疾走感と相まって、30代半ばをも熱くさせる。
曲も実はメロディアスだったりするし。

もちろんジャムのような音を出したいわけではない。
だが、トリオという形態で音楽に向かう、という点で見たとき、「ああいういい感じで演奏したいよな」と思わせてくれるバンドだ。
練習しようっと。

7月11日(水)

フィル・スペクターという名前をご存知だろうか?
1960年代から70年代前半にかけて、一世を風靡した大プロデューサーである。
ウォールオブサウンドと呼ばれる、エコーを多用し分厚いオーケストレーションを施した、音作りで知られる人だ。
元祖オーバープロデュースの人である。
聴けば、その音になじんでいる人なら、すぐ「あ、スペクター・サウンドだ」と分かる。
ひどい言い方をすると、歌い手は誰でもいい。
そこそこ上手くて曲の雰囲気を伝えられれば、あとはアレンジと「ウォールオブサウンド」でスぺクター印を付ければできあがり、という作り方だからだ。(とくに1960年代)
歌手にとってはたまったものではない。
わたしはお人形じゃない、といいたくなる典型のような作り方。

ではそれがよくないのかというと、とんでもなく素晴らしい。
ワシは大好きである。
とても切なく、そしてドリーミーな気分に誘ってくれる。
ワシだって、もし自分の曲のレコーディングプロデューサーがフィル・スペクターだったら、ちょっと辛いと思う。
すべて言いなりになって、お任せでやれる覚悟がないとできない。
だが、シンガーとしての格がはっきりと2流どころである、ロネッツやクリスタルズの曲をあそこまでヒットさせたのは、プロデューサーの力に負うところも大だ。そしてそのヒット曲のメロディとサウンドの中には、確実に人の心に訴えかける何かがある。

中古盤店で。フィル・スペクターのプロデュースの曲だけを集めた(何と20曲。腹一杯)オムニバス盤を買った。
ゆえにこのところ、毎日ドリーミーである。
フィル・スペクターといえばこの曲、ロネッツの「ビー・マイ・ベイビー」をどうぞ。

7月9日(月)

今日、知り合いのバンドのライブを見てきた。
地元も地元。町田のプレイハウスだ。
Zippa−di−Dodaというバンド。

今日、彼らのライブを見て、なんだか元気になった。
若さがだいぶ眩しくもあったが、そしていささか粗っぽい部分もあったが、そんなところはなんのその。
8ビートってカッコよかぁ。
そしてエネルギーが溢れてる姿を見るのは、ほんとに楽しい、嬉しい。
僕にとって8ビートは魔法の杖である。
イキのいいビートで、やる気が出た。
元気を貰った、などとゲロ吐きそうなせりふはいわない。
若いエキスをちゅうちゅう吸い取ってきてやった。
いいぜ、あいつら。
Zippa−di−Doda。
秋頃にかっぱトリオと共演するかも。
楽しみだ。

7月8日(日)

二回ほどアメリカのことを書いたが、ちょっと中途半端になってしまった。
これはでかいテーマだから、もう少し余裕のあるときに、腰を据えて書こう。
重要なテーマであることは間違いない、ワシにとって。

で、今日は息抜きかというとそんなことない。
初めての登場。
デビッド・ボウイだ。
数ある名曲の中から、「レッツ・ダンス」なんちって、もとい「チェンジズ」だ。
アルバム「ハンキードリー」収録。

ここで歌われているのは、ちょっと前の日産のCMではないが「変わらなきゃ」である。
これは多分この後のボウイの方向性を決定づけた曲である。
彼のアルバムごとの変化を見ていくとよく分かる。
変わり続けることを自分に課していたのである。
これはすごく厳しいことだ。
もちろん優秀なミュージシャンは、常に変わっていくのだが、ボウイの場合はその振れ幅が大きい。
一つのスタイルで、円熟・成熟していくことを自分に対して許さない。
常に高いテンションで新しい音へ向かっていく。
そうすることで、常に時代の一歩先を行っていたのだが。

先にギャグネタに振ってしまった「レッツ・ダンス」
分岐点はやはりあそこなのだろう。
リアルタイムで聴いていたときは「よくできたダンス・チューン」くらいにしか思わなかったが、やはり、あそこでおもねってしまったのだろう。
といってもあとから言うのは簡単だし、「レッツ・ダンス」自体は大ヒットしたわけだから、ここまでは彼の勝ちである。

それ以降の彼の落方も興味深いのだが、(でも最新作...といっても2年前だがあれはよかった)それはまた、別の機会に。

変わらなきゃ、を自分に課して15年近く第一線で頑張ったのである。
それはいうまでもなく、もの凄いことだ。
僕が言うのは明らかにおこがましい。
こんなところで、能書きたれている前に、僕も変わらなきゃ。

7月7日(土)

アメリカについての続き。
今、世を覆っている価値観のかなりの部分は「アメリカ産」のような気がする。
例えば、市場の自由化、とくに金融。例えば情報公開。例えばエコロジー。例えばハリウッド映画。例えば個人の自立。
もちろんその価値観の個々については納得できるものもあるし、できないものもある。
だが、基本的に不愉快なのだ。
アメリカという国の持つ押しつけがましさが。

日本もアメリカも抱え込んでいる闇、というのは相当量のものがあると思う。
質と現れ方には差があるにせよ、どっちもどっちだ。
だが、僕にはアメリカの方が特別にいい、とは思えないし、その価値観に従属したい、とも思えない。
アメリカを肌で感じる機会を持ったことがない僕は、全てを誤解しているのかもしれない。友達がいるわけではないし、観光旅行ですら行ったことがない。
だが、じわっとクルこの不快感はなんなのだろう?

そしてそんな僕にも関わらず、アメリカ産の映画や音楽には随分とお世話になっている。
ニール・ヤングやビーチボーイズ。マイルズ・デイヴィスやカーティス・メイフィールド、プリンスを聴かないで来てしまったら、それは随分と寂しい音楽生活になっていたことと思う。
だが、これらの音楽が教えてくれたことは、人間としての感情を表出する部分とは別に(あるいは関連しているのかもしれないが)アメリカという国の闇の部分だったのかもしれない。

アメリカという国は好きになれないが、そこから生み出されたものには影響を受けている自分。
今日の気分はスライ・アンド・ファミリーストーンのアルバム「暴動」だ。

7月4日(水)

7月4日、といえば、アメリカの独立記念日。
ま、ワシには何の関係もないが。

どちらかといえば、アメリカ嫌いである。
だが、相模原は知られざる基地の街。(横須賀や沖縄に比べたら全然だと思う)よってアメリカは嫌も応もなく身近にあった。
またアメリカ産の音楽や映画は、好きなものがかなり多い。
好きだけど嫌いな国。わりと嫌いだけど、部分的にはすごいなと思っている国。
海外旅行なども大してしていないが、アメリカ合衆国はまだ未踏の地。
そしてアメリカ人の友達などもいない。
だから僕のアメリカ観は、恐らく偏見と誤解に満ちていると思う。

これは本気で語ると多分長くなるな。
今日はイントロ。
サイモンとガーファンクルで「アメリカ」を聴いてくれ。

7月1日(日)

へっへっへ〜!
新しいギターを買っちゃった。
セミアコタイプのエレクトリックギターだ。
もちろんこの掲示板でも大騒ぎ(ってオレだけだけど)している、バンド結成にむけてである。
何につけ、新しいものを買うのは気持ちいいし、それで、サウンドも変わる可能性が高いので、スリリングかつ楽しみだ。

そこで、今日はわしの好きなギタリストの話。
ワシは初めてエレキギターを買ったのは高校一年の時である。
ジェフベックモデルの白いストラトキャスターのコピー。
ジェフ・ベックモデルを買うくらいだから好きだったのである。ジェフ・ベックが。
ま、いまでも「今日のお薦め」で取り上げるくらいだから(12月に取り上げた)、ずっと好きなのだが。
さすがにジェフ・ベックをコピーできるとは思っていなかった。だがリッチー・ブラックモアなら何とかコピーできるかも、と思ったところがバカである。
当時の高校生ギター少年は、ほぼ例外なくキッスかレインボー(リッチー)かのどちらかはコピーしていた。
高校生には必須だったのだ。
「みんなができるのだからできるだろう」という超甘い考えである。

できなかった。
ずいぶん練習したのだけれど、ちっともできなかった。
深く自分の能力を疑った。
でも指はちっとも動かない。
自分は「指の不自由なギタリスト」なのだ、と思い知った。

だが、ギターを弾くことにはイヤになっていない。
視点を変えた。
こんな僕でも弾けそうなギタリストはいないか?と思って探し始めたのだ。
とりあえず、ゆっくりなフレーズのギターソロ。

と思って探し出したのが、ローリングストーンズの「ホンキートンク・ウーマン」多分、ミック・テイラーもキース・リチャーズもこれを読んで腹を立てていることと思う。日本語は読めないはずだけど。
もちろんあの曲のギターソロだって「早く弾いていない」だけの話で、実は奥が深いのだが、バカ高校生はそんなことに気がつくわけもない。
「とりあえず弾けるソロがあった」というだけで、もう有頂天になっている。
そういう嫌らしい耳で聞いていくと「ストーンズのソロって難しくなさそう!!」に聞こえる。
それで、図に乗っていくつかコピーしてみた。
もちろん難しそうなのは初めからパスして。

いくつか「簡単なソロ」をコピーしていく内に気づいた。
ストーンズのギターって、ソロよりも二本のギターのリズムの絡み方がかっこいいんじゃん。
バカ高校生の分際で、この点に気づいたことは誉めてやりたい。
そう、そこがまさにストーンズサウンドのポイントだったのだ。
そこからワシは、ソロよりもキース・リチャーズのリズム・カッティングに注意を払って聴くようになる。
そしてそれが歌を、どれだけバックアップしているかが、少しづつ分かってくる。
それ以来ギターソロ、というのはわりとどうでもよくなった。
自分にとってカッコイイギタリストというのは、リズムのカッティングのセンスに溢れていて、歌のバックアップが上手な人である。
ここまでストーンズのことを書いた以上、「キース・リチャーズ」を薦めるべきなのだろうが、20歳以降、もの凄く聞き込んだスティーブ・クロッパーがリズム・ギターを弾いているエディ・フロイドの「ノック・オン・ウッド」を聴いてほしい。
エディやスティーブについてはまた、別なところでね。

 

過去の「Quappaの今日のお薦め」を見る 

2000年  9月 2000年 10月

2000年 11月 2000年 12月

2001年  1月 2001年  2月

2001年  3月 2001年  4月

2001年  5月 2001年  6月


TOPへ