| 2001年 6月29日(金)
今日はアッパーでもなごみでもない音楽を。
リッキー・リー・ジョーンズの「サテライト」
まず、リッキーは大変上手なミュージシャンだ。
ギターもピアノもすごく上手い。
今まで洋・邦、プロ・アマ随分たくさんのミュージシャンを見てきたと思うが僕が見たライブの中で、最高のものの一つが、1990年に新宿厚生年金会館で見た、リッキーのライブだ。
この時のバンドのうまさといったら素晴らしかった。
僕は普段、このページでもよく書いているように、「上手・下手」というのはさほど気にしていない。上手いに越したことはない、という程度のことが多い。
が。そんな僕でも。
たまげました、このうまさには。
派手なことはしないが、「歌のツボ」を確実にバックアップし、歌のパワーをより増幅する、演奏。じわじわと高揚する歌。
技術とソウルの幸福な結びつき。
生み出されるのは至福の空間。
そんなリッキーのさらっとした魅力が満ちあふれている。
1990年のアルバム「フライング・カウボーイズ」に収録。
もちろん僕が見たライブでもやってくれた。
軽やかに素敵です。
6月27日(水)
いきなり暑い。
体力低下しそう。
でも、暑いのも夏も大好きなのだ、かっぱは。
わしはこのページでも度々力説しているが、ロックが大好きだ。
もう好きとか嫌いを乗り越えて血肉と化している。(つもり)
ワシの血は8ビートで脈打っているのだよ。
だけど、ロックの歌詞で「暑いけど、がんばってのりこえよう!」なんてのは、あまりないような気がする。
イヤ、ワシの知る限り全然ないかも。
だいたいは暑くてだるいとか、いらいらする、というような歌だ。
となると、夏の風物詩としての音楽、ビーチボーイズの登場か?
チューブ、という線も考えたが、多分原稿を書き上げる前にゲロを吐くな、という気がしたのでやめにしておいた。
未だにビーチボーイズ=夏というのは、想像力不足という気もするが、でも、いいものはいいんだから、いいじゃないの。
どちらかというと夏路線から離れた歌の方が、好きな歌が多いのだけど、でもいわゆる「サーフィン/夏物」の歌にもすぐれものは非常に多い。
「カリフォルニア・ガールズ」
あのイントロを聴いただけで目の前に見たこともないカリフォルニアの海が広がる。
ものすごく口ずさみやすい親しげなメロディ。でもあんなストレートなメロディなのに、コード進行はすげーへンだったりする。さすがブライアン・ウィルソン。
ブライアン・ウィルソンはサーフィンなんぞは全然できないどちらかといえば、インドア派の人だった。
挙げ句の果てにこの曲を作った数年あとには、精神的に向こう側へ行ってしまい、20年も行きっぱなしだった。
あの見事なまでのポップさと引き替えに、彼は向こう側へ行かざるを得なかったのだと、僕は思っている。
それはある意味、ジム・モリソンやカート・コバーンやブライアン・ジョーンズなど、若くして死の扉を開けてしまった天才達よりもきつい道のりだ。
だがブライアンは何とか生き延びて、精神的にも一応戻ってきて、2年前には来日までしてくれた。
昔とは比べものにならないくらい、歌が下手くそになってしまったブライアンの歌を聴いて、ヘルプ・ミー・ロンダを、カリフォルニア・ガールズを一緒に歌いながらちょびっとだけ泣いた。
暑い夏にはビーチボーイズ。
6月25日(月)
ニール・ヤングはクレイジーホースと組んで演奏するときがいちばんかっこいい。
基本的にはニール・ヤングとクレイジーホースは別物である。
いつもつるんでやっているようなイメージがあるが、そうでもない。
今数えたら、一緒にやっているアルバムは11枚だった。
ニールは30枚以上アルバムを出しているから約3/1である、一緒にやっているのは。
クレイジーホースは「荒馬」の名の通り、ラフでタフなリズムセクションだ。
そこそこ名の通っているプロのバンドの中では、間違いなくテクニックのないバンドである。
だが、勘違いしてはいけないのだが、テクはないが彼らはとても上手くなっている。それは昔よりも今の方が、断然迫力があってうねっている、ということである。
あらためて言うが、未だに大したテクニックはない。
できないこと、はかなり多いと思う。
が、にもかかわらず、この豊かな表現力はどうだ。
ある特定のスタイルにしか対応できないとしても、これだけ情感があってかっこよければいいではないか。
しかもドラムのラルフ・モリーナも、ベースのビリー・タルボットもまるで、下っ端の麻薬の運び屋のような風情だ。リズムギターのフランク・サンペドロだけは場末のバーのマスターみたいだ。
ロックミュージシャンでなかったら、完全にあぶない人である。こんなやせぎすのやつらが、こんな鉈で荒野を切り開くような演奏ができるなんて。
イアン・マクナブのソロアルバムを持っているのだが、それを買った動機は不純である。
クレイジーホースが数曲バックをつとめているから。
そして面白いのは、このクレイジーホースがバックを受け持った曲に関しては、イアンは完全に「ニール・ヤング化現象」を起こしてしまっているのだ。
ニールのようなギター、ニールのような曲調、ニールのような歌いっぷり。
単なるミーハーか?あんたは。
だが、思うにこれは初めは全然ニールっぽくなかった曲が、クレイジーホースとセッションするうちに「ニールヤング化」してしまったのだろうと想像する。
なぜなら、そのスタイルこそがいちばん彼らが勢いを発揮できるからなのだ。
不器用な天才達をバックにしてしまったのだから、こうならざるを得ない。
そんな荒馬たちと中年のニールが爆裂している曲「ファッキン・アップ」を今日はお薦めだ。
1990年「傷だらけの栄光」に収録。
目茶カッコエエで。
6月24日(日)
ジャック・マクダフの「タフ・ダフ」というアルバム。
もう、むんむんムレムレに真っ黒である。むせそうなくらい。
だいたいジャケットに「ブラザー・ジャック・マクダフ」と入っている。
ブラザーだよ、ブラザー。
多分レコード会社の人が入れたのだろうが(あるいはホントに周りからそう呼ばれていたのかもしれないが)並の素人さんにはブラザーなんて名乗れない。
プロ中のプロ、しかも真っ黒。だからこそなのだろう。
はっきり言って曲がどうこう、というタイプの人ではない。
ただ、ひたすら熱くて暑くて暑苦しいのだが、それもまた気持ちよいと思わせる、多分午後のアンニュイ系が好きな人などは、焼け焦げてしまうかもしれない音である。
でもうっとうしい梅雨の時に、こういうのを聴くのは痛快である。
まだ生きているみたいだけど(この録音は1961年)こういうタイプの人は絶対枯れてほしくないなぁ。ま、オルガンだしきっと今でもブイブイ言わせているんだろうな。
土曜の夜向きです。がんがん行こう。
6月23日(土)
ローラ・ニーロの「ネステッド」というアルバム。
1978年のアルバムなので、フージョンがかったりしていたらヤだな、などと思いつつも、ジャケットのローラがあまりにも可愛く素敵なので、ジャケ買い。
ま、ローラのアルバムなら大はずれということはないだろうし。
癒し、というコトバが嫌いなのは、さんざっぱらこのページで書いてきたが、思わず、その言葉を使いたくなってしまうアルバムだ。
買ってから10日あまり経っているが、ずっとターンテーブルに載りっぱなしだ。
もちろん個々の曲もよいのだが、それ以上にアルバム全体の空気感が素晴らしい。
暖かく包み込んでくれる。
素敵な年上のお姉さんの部屋に遊びに行って、膝枕で甘えさせて貰ってる感じ。
でもセクシャルな関係ではないような。
そんな微妙だが、「いくらでもわがまま言っていいのよ」と大人の優しさでつつんでもらっている。
癒しではなく甘えられるアルバム。
CDでは再発されていないようなので、アナログで見つけたらその場で迷わず「買い」です。
6月20日(水)
グラハム・ナッシュというと、あのCSN&YのNの人である。
もっと前は「バスストップ」のホリーズの人である。
彼の「ソングフォー・ビギナーズ」というアルバムに入っている「シンプルマン」
もうその名の通りシンプルマンについて歌ったシンプルな曲で、シンプルな演奏。
もうこれはアルバムごと良いので、アルバムでお薦めでも良いのだけれど、でも、この曲は特に。
凄いちゃちな音で録音されている。
ピアノとバイオリンのみの演奏。
暖かいけど、切ない。
かっぱは哀愁系は苦手だが、切ないのは大好きである。
どう違うんだろう?
哀愁はたとえば、「哀愁デート」である。なわけなくて、そうだなぁ、でも「哀愁のカサブランカ」なんてやっぱり「哀愁系」だよな。
ロリ−・ギャラガーなんて人はわりと哀愁だと思う。
パープルなんかも実は哀愁。
哀愁ってなんかべとつきがあるんだよな。
でも「切ない」は少年の涙だ。青い。
切なさで言ったらフェイセズの「グラッド&ソーリー」とこのグラハム・ナッシュの「シンプル・マン」が双璧である。
泣こうぜ。
青い、切ない涙で。
6月19日(火)
やっと今日のお薦めに戻ってきた。
このところ、「お薦め」の更新すらままならぬ状態で、楽しみにしていた人、ごめんなさい。
とにかく時間!
えらいことになってきたなぁ。
6.17.町田AtoZにおいて「チープとリック」のライブも無事終了しました。
20日間で、ライブ3本。
すみよしたけしや井上ともやすには当たり前のペースでも、ブランクから復活してまだ間もない、かっぱにとっては正直きつかった。
結果的にそういうスケジュールになってしまった、というのもあったのだけれど、でも、ちょっと自分に少しだけ高いハードルを課してみたくもあったのだ。
曲や演奏の評価はお客さんがすることなので、あまり言うのもナニだが、自分では効果があったと思う。
練習漬けになったおかげで、音楽に対する勘、のようなものがだいぶ帰ってきた気がする。
5.27と、6.17の録音を聴き比べると、歌は力みが取れてあきらかによくなっている。(あくまでも自分内評価だけどね)
だいぶミュージシャンモードに戻ってきた。
何よりも演奏していて楽しい。PECOと演奏していてもu−taroと演奏していても。
以前熱心にバンドをやっていたときは、ここまで気持ちよくはなかった気もする。もちろん前のメンバーが悪かったわけではないのだが。
当たり前のことだが、練習って大事だ。
それもほんとに痛感した。
今回も前回も細かなミスはたくさんあって、そしてライブだからそういうものはつきものだとは思っているが、自分でも「あちゃー」と思うような失敗をしてしまった曲は、やはり練習に割いた時間が足りなかった。(結果論だが)
こういうカタチでてきめんに表れると、身体って正直だな、と思う。
今度のライブは8.5.町田AtoZ。
次回からは、PECOのドラム,u−taroのベースでのトリオである。
すげー楽しみ。
ハードな現場労働をきちんとやって、リハーサルをやって、ホームページのこともやって、(ちょっと甘くて何人かに迷惑かけたけど)CDの営業にも行って。
盛りだくさんな日々だった。
これしかないでしょう。
ザ・ビートルズで「ア・ハード・デイズ・ナイト」が今日のお薦め!
6月14日(木)
お久ぶりっす。
3日も空けちゃったね。いかんいかん。
6.10.にライブをやったのだが、その直前まで体調極悪、そして終わったら、今までの疲れがでたのであろう、もう、寝まくり状態。
よー寝るわってなもんで。
いや今まで、すみよしたけしや井上ともやすのライブスケジュールを見て、「すげーな」と思っていたが、なんのことはない。自分もやってる。
内容に置いてはまだまだ彼らとだいぶ差があるだろうが、スケジュールの埋まり方だけはこの3週間だけ見たら大したモンである。
でも、体力消耗するんだな、ライブって。
あらためて彼らはエライと思った。(ってこんなところで感心するなって?)
こんなことを当たり前の顔して月に3回4回やっているんだモンな。
で、こんな風に寝まくったかっぱ、久々にゆっくり本を読みました。
村上春樹の「国境の南 太陽の西」
初めてではなくもうこれを読むのは4〜5回目だ。
本なんて再読する本自体、多分買ったウチの10分の1くらいだから「愛読書」といってもよいだろう。
村上春樹は基本的に好きなので、どれも薦めたいが、この「国境の〜」はどうも村上ファンの間では、さほど人気が高くないようだ。
僕も実は、最初に読んだときは「今イチ」と思っていた。
「ノルウェイの森」以降、妙にセックス描写がねちっこくなったんではないの?
うっとおしいなあ、などと思っていた。
最初に読んでから3年くらい経ってから再読した。
ねちっこい描写にも、ちゃんと必然性があるように思えた。
うっとおしくなかった。
それにとても悲しい話だった。
その悲しみが理解できなかったのだ、最初の時は。
そして今回読むのは最初に読んでからもう10年近い月日が経っている。
すごく滲みてきた。
とても悲しい「業」の話だということが分かった。
そしていつかは向き合わなければいけないものに、立ち向かうときのつらさ。
そう、その時は必ず来るのだ。
失うものと守っていきたいものとの相克。
これを実感するのに10年かかるのなら、月日の経つのも捨てたもんじゃない。
なんか、いい歌が作れそうな気がする。
6月10日(日)
今日はかっぱのライブでした。前回に続き「ドラムンギター」
今回はいろいろ小さなアクシデントはあったが、楽しくやれました。
自分内ロック進行中。
今日はライブ演奏中に「今日のお薦め」をトークでやってしまった。
ライブ版「今日の薦め」
ソニー・ロリンズの「セイント・トーマス」
いちばんの有名曲というのもあるが、ソニーロリンズのシンボルとして。
というのは今日はこの曲がどうこうというのではなくて(もちろん名演・名曲なのだが)ソニー・ロリンズその人を薦めたいのだ。
50年代からずーっとやっていて、未だに現役、などというひとは、数えるほどしかいない。
昨年の今頃、東京は中野サンプラザにて見たのだが、ワシとしては、「動いてるソニーロリンズ」を見られれば十分だと思っていた。
なんといっても70歳である。
だが、それは、ソニーをなめた考えだった。
すごかった〜。
天井を吹っ飛ばさんばかりの勢いあるブロウ。
イキのいい音。
全然枯れてなんかいやしない。
すごいもんですわ。
もちろん彼のミュージシャンとしての体力、そしてあれくらいの年になれば、人としての体力とか以前に経験や蓄積からにじみ出るものも多々あるのだろう。
だが、枯れないで、「へっへっへ〜」という感じで、ガンガン行くのを見ているのは、ホントに気持ちいい。
まだまだ、がんがんいけるね。
わしなんか今の程度だったら、大暴れしていいってことだ。
安心してアホになれるな。
行こうっと。
6月8日(金)
今日、パルテノン多摩というところで、すみよしたけし&ざっくばらんすのピアニスト、ふじい みき のピアノ・コンサートがあった。
ふじいを含む3人のピアニストの演奏だったのだが、演目はクラシック中心。
ふじいは音大出なのだ。
だが、音楽をやっていくのに音大も何も関係ない。
いい音が出せる奴こそ、「音楽家」である。
そしてふじいは、紛れもない「音楽家」だった。それも客と魂のやりとりをするような。
登場からしてふてぶてしかった。度量の大きさを感じた。
オーラもびんびん出ていた。
初めて見るふじいのドレス姿に鼻血を出す予定だったが、そんなのはどうでもよい。いきなりな存在感。
そしてピアノの前に座り、しばし呼吸を整えたあと、おもむろに弾き出す。
いわゆるクラシック方面にはぜんぜん詳しくないので、曲は初耳の曲だ。
モンサルバーチェという人の「イヴェットの為のソナチネ」とスクリャービンの「ソナタ第4番」。
だが、曲を知っているかどうかなど、どうでも良い。
彼女は明らかにある種の高みに登って演奏していた。
自在に呼吸するリズムとタッチ。
存在そのものの音。
僕は多分「鑑賞」していなかった。
演奏が始まった途端に引きずり込まれ、同化してしまい、演奏が終わった途端に現実世界へほっぽりだされた。
数十分間、異世界を旅してきた。
すごいっす。
いうことないっす。
驚いたぁ。
素晴らしい音空間を共有させてくれた ふじい みき に感謝。
6月7日(木)
ウィーザーのニューアルバム「ウィーザー」
まず時間が短いのがいい。
今時10曲収録で28分である。
はっはっは。ねーぞ、こんなの。
当然曲はシンプルにまとまっていて、余計なモンは入っていない。
基本的にギターがラウドに鳴っていて、メロディアスな歌をちょっと下手いヴ
ォーカルが唄う、というスタイルだ。
もちろん「ちょっと下手い」がちゃんと絵になっている。
4月に薦めた「ステレオフォニックス」と並んで、ちゃんとした今の音だ。
このスピード感も気持ちいい。
シンプルで、ラウドなギターサウンド、かっぱも今トリオ編成のバンドを作るため、いろいろ研究中なのだ。
6月に入って2日、3日とよく休んだのに、全然体調が良くならなかった。
風邪もひどい。
どう考えてもこの3ヶ月くらいの無理がでている。
よーするに過労だと思う。
今日は幸い現場がなかったので、(普段は現場がなくたって、営業か事務仕事をしている)ホントに芯から休んだ。風邪もだいぶ良くなった。
お袋に勧められた、「梅肉エキス」が効いたようだ。ものすげーしょっぱいが、それをなめて、喉に湿布巻いてぐっすりと寝た。寝汗を大量にかいた。
多分これで、大丈夫だ。
まずは6.10.良いライブをやるよ。
そしてその次は6.17だ。
そしてその次は...
ついにかっぱは「バンド」を組みます。
いえー。
6月5日(火)
はっぴいえんどは、やはり別格のバンドだと思う。
今に至るJ−POP(嫌いだな、この言葉)の礎を一代で築いたと言っても過言ではない。
好きとか嫌い以前に聞かなければいけないバンドの一つだと思う。
一般的な評価はセカンドの「風街ろまん」かサード「happyend」の方が高いようだが、ワシ的にはファーストである。
もっと言ってしまうと、1曲目の「春よ来い」
この曲に尽きる。
ものすげー暗いサウンドなのに、青臭いほどの悲壮感に満ちた前向きの歌詞。
それをダルな雰囲気をたたえながら、でもしっかりと前を見た大瀧詠一が唄う。
背水の陣の青春である。
初めて聞いたときは「わからんでもないけど、なにもここまで気負わなくても」と思った。
だが、1970年の日本の音楽のなかにあのアルバムを放り込むには、あれだけの青い決意表明が必要だったのだ。
あの重さがやっと、今にして分かる。
あそこで打ち込まれたくさびが、今でも日本の音楽を支えているのだ。間違いなく。
日本の音楽史上、音楽的な価値ということではなく(はっきりいって楽曲として優れた曲ならこれ以外にたくさんある)音楽をやっていくことに対する決意表明、ということで歴史に刻まれる唯一無二の曲だと思う。
今、音楽の(特にライブに)再び真剣に取り組み始めたかっぱにとって、これほど胸に迫る曲はない。
相模の風のこれからもかっぱの音楽活動も、「大きな春」を呼び寄せるようにするよ。
6月3日(日)
「ライ麦畑でつかまえて」がこの掲示坂内で、若干の盛り上がりを見せているので、きちんと「お薦め」することにした。
ジェローム・D・サリンジャー著 白水社刊
「ライ麦畑でつかまえて」
原題は「キャッチャー・イン・ザ・ライ」なので、「ライ麦畑のつかまえびと」(ちょっとこなれてないけど)のほうが意味としては近いと思う。
ストーリーについては語らない。
主人公のホールデン・コールフィールドにどこまで、同調できるか?
これで決まる。
あなたが、今までに「こいつはインチキだ!」と思った回数が多いほど、引き込まれる。
もちろん僕くらいの年になってしまえば、「いんちきだぁ」と感じたからってその場で怒ったりはしない。というか、怒れない。
腹の虫を押さえ込んで、丸く収めるすべだってある程度はわかっている。
だがそういうことの回数が増えれば増えるほど、自分の中の何かが、確実にすり減っていく。
そんな生活に縛られた人生を送りながらも、たとえば、相模の風レコードを転がしていく。
たとえば一ミュージシャンとして唄い、演奏していく。
そんな、力をかき立ててくれる、触媒の一つが、たとえば、キース・リチャーズという存在だったり、レイ・デイヴィスという男だったり、このライ麦畑でつかまえて、だったりするのだ。
未読の人、損はさせません。
是非、一読を!
6月1日(金)
文章と楽曲、表現領域は違うが、どちらもクオリティが高い。
ろくでなしの新曲「思うまま」ニューバージョンと、SYUNJIの「エアチェックの夜 第10回」である。
どちらも感動します。自分で言ってしまうが。
文章の鋭さ、音の鋭さ、やっていることは違っても、そして人格や性格は違っても、彼らは表現者として普通ではなかなかたどり着けない場所にいる。
絶対に経験してくれ。
相模の風の中で、文章も音楽もますますクオリティがあがって行く。
それに対して正当な評価と報酬が与えられるような場所まで、彼らを連れていくのがワシの役目である。
いきまっせ。
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