Quappaの今日のお薦め
ほぼ毎日更新!!!

当「相模の風レコード」の管理人をつとめる、そして楽曲掲載ミュージシャンでもあるQuappaがその日の気分で音楽や映画、本などを紹介していきます。
今までの各月の分は、それぞれファイルにまとめました。

 

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2001年

3月31日(土)

今日は心にしみる、キャロル・キング「ナチュラルウーマン」
名盤中の名盤「タペストリー」に収録。
といってもかっぱも、このアルバムしか持っていないので、あまり偉そうなことは言えないのだが。

しかし全曲いいものなぁ。
キャロル・キングはもともと職業的なソングライターだ。
日本での歌謡曲の作詞家・作曲家と基本的には変わらない。
しかし、時代の流れもあったのだろう。
自作自演が潮流となる。
絶妙のタイミングでもあったのだ。

元々メロディメイカーとしては超一流だ。
「ラブミー・トぅモロー」「アップ・オンザ・ルーフ」「ロコモーション」など枚挙にいとまがない。
さりげないが心に深く残るメロディ。
でもセンスがものすごくいいから、けしてベタにはならない。
これしか持っていないくせに、かっぱも結構影響を受けている。と思う。

「ナチュラル・ウーマン」は実はアレサ・フランクリンに書いた曲である。
アレサ・バージョンの方がキャロルのモノより、2〜3年早く世に出ているはずだ。
他の歌手ならともかく、元祖ディーバのアレサである。
もちろんアレサの「ナチュラル・ウーマン」は素晴らしい。この頃のアレサは一貫してそうなのだが、単なる、個人的なラブソングの域を超えて、非常に広く力強い。

だが、このキャロルは超個人的に歌っている。
僕の前にいる、素直で繊細な、やせっぽちの女の子に愛の告白をされているみたいだ。
けっして美人とは言えないキャロルを抱きしめたくなる、それは性的なモノではなくホントにただ、抱きしめたくなる。
しみます。心に。

3月30日(金)

アイク&ティナ・ターナーの「プラウド・メアリー」
これはカバーバージョンで、もとはこのページでも何回か取り上げているクリーデンス・クリアウォーター・リバイバル(C.C.R.)の曲だ。
元バージョンもいいのだが、このアイク&ティナのは格別だ。
下世話で、ベタだけど、ものすごいスピード感と荒々しさ。
そしてアイク・ターナーのギターのぶっ飛び具合。
Quappaはへっぽこギター弾きなので、どうしてもギターに耳がいきがちなのだが、この人のギターはかなり変態度が高い。
音のトーン、カッティングのセンス、リードのフレーズの選び方、どれをとってもただものではない。
ブチキレ系ではなく「ひょうひょうとした」感じだ。大人のエロを感じさせる。

そしてティナ・ターナー。エネルギーの固まり。
この二人、私生活では相当トラブルを抱えていたらしいが、音はひたすらカッコイイ。
前半のスローパートはあくまでもイヤらしく、じらし、後半アップテンポで盛り上がるところは勢い任せに突っ走る。結構汗くさいかも。でも、ひょうひょうギター。
いいねえ。大人で、ガキなサウンドだ。
楽しいよぅ!!

3月29日(木)

ジェシ・デイヴィス「ウルル」
1971年のアルバム。
サイドメンとしての活動(ギタリスト)が主で自分のアルバムは3枚しか出していない。
しかも1988年に亡くなってしまった。

このアルバムではもちろんヴォーカルもとっているし、曲も作っている。
当時の流れでいうと「シンガーソングライター」的なノリだったのだろう。
ダルで切ない。
米国南部的なノリなのだが、おおざっぱではない。
特にこの「ウルル」は最高だ。
なにか遠くにあるモノが彼には見えていたのだろう。
そこに向かってゆるやかな放物線を描くように、音を投げかけている。
今、彼が死んでしまってからでも10数年たってしまっているが、そんな今、彼が投げかけた音をキャッチする。
それは小学生の時に埋めた、タイムカプセルを開けるのに似ている。

3月27日(火)

かなり、体力いっぱいいっぱい。
へろへろではないが、エロエロかも。
もう今日は、だいぶ壊れている。

そんなときには、全方位対応のマイルズ・デイヴィス先生。
(こんな登場のさせかたしていいのか?)
「ライブ・イヴル」
このアルバムには色々詰まってます。
おいしいです。
幕の内弁当です。
色々な味が楽しめてしかも、どれもおいしい。
言うことないでしょ?

このころからマイルズは「マイルズ色」の音楽をやるようになる。
力強いよな。
グレート。
オレもそうなりたい。
なるぞ!!

3月25日(日)

以前に取り上げたことがある、村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」の大きなテーマは井戸に潜る、である。
これはもちろん、心の深層に入り込むことの象徴である。
人と人が深く関わるということは、多分この井戸に潜る、井戸を掘る、ということなのだろう、お互いに。

深く愛するということは、同時に深く傷つける可能性も秘めている。
深く関わるには体力もいる。タフにならざるを得ない。
手先のごまかしはすぐばれる。
非常にヘビーだ。
だが、全力で関わったときなにか突き抜けるところがある。
見たくないモノも引きずり出さなきゃいけないこともある。
それが共に歩むと言うことなのだろう。
全てが露わになったときにそれに耐えられるか?

やっと正面からジョン・レノンに取り組む。
男女の愛の歌ではないが、人間の関わり、ということに置いて根源からの叫びの歌。
「マザー」
聴いてくれ!

3月24日(土)

おととい、僕の伯父さんが死んだ。
84歳だったから大往生と言っていいと思うが、結構好きな伯父さんだったし、節目節目で世話にもなっていたので、やっぱり悲しい。
ちゃんとお骨も拾った。ついさっきまで、人の形をしていたのに、1時間後には灰である。

小学6年の時に、はじめてお骨を拾うところまで立ち会った。
おじいちゃん、つまり今回亡くなった伯父さんのお父さんの葬儀の時だ。
知識としてはもちろん理解していたが、目の当たりにするとやはりショックだった。
多分、「無常」というものを肌で理解した最初だと思う。
「死ぬってこういうことかぁ。」
小学6年かっぱは学んだ。

今回は親戚だから、というのはもちろんだが、好きな伯父さんの骨は絶対に拾いたかった。
最後に会ったのが4年前。そのうちにまた遊びに行こう、なんて思っているうちに「そのうち」が来る前に、向こう側に逝ってしまった。
出てきた遺灰はまだ、少し骨の形を留めている。
小学生の時とは違う感慨があった。
そう遠くない将来に自分の両親もこうなるのだろうし、自分も確実に、少なくとも小学生と比べたら、ここに近づいている。
灰になるまでにどれだけやれるのかな?
どこまで行けるのかな?

ドアーズの「サマーズ・オールモスト・ゴーン」
無常感そのものの歌だ。
そして伯父さん。
あなたを送るための歌を今度作るよ。

3月23日(金)

シカゴの「愛ある別れ」
シカゴは今、完全にアウトなバンドなのではないだろうか?
70年代好きだ、という人でも「えー!?」という感じのような気がする。
ヴィンテージの匂いもしない。
好きな人はごめんね。

高校の頃、好きだった女の子の家に遊びに行ったとき(いわゆる”つきあって”いたわけではなかった)彼女のお姉さんがシカゴが好きで、よくかかっていた。彼女もその影響で、シカゴが好きなようだった。
部屋で、シカゴを聴きながらたわいもない話をしていた。
押し倒したくてしょうがなかったけど、家の人もいたし、童貞かっぱにそんな度胸はなかった。
そんな妄想の渦をかきわけながら聴いていたシカゴである。
音楽的にそれほど好きなわけではないのだが、そんな思い出と相まって、いくつかの曲はビタースィートになっている。
ワシの場合、曲と個人的な思いでの結びつきというのは、比較的少ない方だと思うのだが、これは確実に思い出の曲である。

その彼女には結局「つきあう」ところまではいけず、振られてしまった。
振られた1週間後くらいに、偶然街で「愛ある別れ」がかかっていた。
「今のオレ、そのままじゃん」歌の内容しかり、しかも二人で聞き込んだ思い出付き。
高校生かっぱは今よりずっと、おセンチ小僧だったから、ちょびっと涙ぐんでしまった。

今日、たまたまつけていたラジオでかかっていた「愛ある別れ」でそんなことを思い出した。
どうしてるのかな、洋子ちゃん。

3月22日(木)

鈴木祥子の「ラジオのように」
1990年の曲だと思う。
正直に言って僕がこの人の曲で手元に持っているのは、このシングルだけだ。
他の曲も2〜3曲しか知らない。
要するに特別ファンというわけではない。
だが、この曲の祥子様はヴォーカルに何とも言えない色気があるのだ。
歌は綺麗な歌で、特別エッチなことなど歌っていない。
本来はそんなものを感じさせるつもりではないのだろうが、あくまでもワシ的には、とてもいやらしい、エロな歌だ。
曲調と言うよりも、歌声自体がワシには「セックスそのもの」に聞こえてしまうのだ。
こんな曲をラジオで流していいはずがない!と思った。
でも周りの奴に聴いてみると、この曲で、そんな下世話な「欲情」などしているのはワシだけらしい。
「この曲で、この声で、そんなこと考えるなんて変態じゃないの?」と、当時のツマにもあきれられた。
ひょっとしたら、それが離婚の遠因かもしれない。

なんか今回は「お蔵出し」みたいだな。
ワシだけがこれで、欲情してしまうのだろうか?
女性はどう思うのだろうか?
それを確かめたいよな。

3月21日(水)

3/20西荻窪のビンスパークにライブを見に行ってきた。
当ページのすみよしたけしを見に行ったのだ。
もちろんよかった。
今回は叙情味あふれる歌心を聴かせてくれた。
彼のライブは後日、ライブレポートにして詳しく報告する。

彼のあとに出た「さが ゆき」
あまりにもすばらしかったので、紹介する。

彼女が一人で、ステージに出てきた。
普通、一人でライブをやる場合は、ギターかピアノを手にする人がほとんどだ。
コード感を出す楽器がないと、歌を聴かせるのは大変だと思う。
そんな先入観をいきなりうち砕かれた。
ステージに用意されていたのは数種類の打楽器とエフェクター一個のみ。
先に書いたようにサポートメンバーはいない。
打楽器叩き語りか?

マイクに向かった、彼女は「どぅ、どぅ〜ん」といきなり歌い始める。
何回も繰り返す。
そうか、ドラムのシュミレーションを口でやっているのだ。
色々な音色、リズムをその口から叩き出す。
口まねドラムなんて、完全ギャグの世界だが、僕も含め全員が引き込まれている。
すさまじいグルーヴ感。
まるで、宇宙のリズムが乗り移っているようだ。
表情もイっている。憑依状態といってよい。
一曲目はかなり長かった。多分10数分あったと思う。
だが、その多彩なリズムバリエーションは留まるところを知らない。
早くゆるく、切迫したかと思うと弛緩する自在なリズム。音色。
自分が彼女の世界にどんどん同化していく。
不思議な世界だ。
地底と宇宙を同時に見せられていた。

他の曲もすべて歌詞なし。パーカッションとデュレイを効果的に使った、スキャット・ヴォーカルのみ。
参りました。

だいたい、一人で、ステージに立つときは、ギターかピアノで、なんて決まりがあるわけでもない。
でも疑いもせずに、そうあるべきと思いこんでいた。
アタマ固かった。

エネルギーを放出できればなんだっていいのだ。
大体ギターが普及したのなんて、たかだかこの百年ちょっとのはなしじゃないか。
目から鱗とはこのことだ。
演奏形態からして、そしてもちろん演奏それ自体の強力さが、僕を自由にしてくれた。
この種の開放感は久々のような気がする。
びっくりしたし、嬉しかった。

さが ゆき のアルバムはMIDIから「ルキサン スアラ」が出ている。
他のアルバムもあるのかもしれないが、僕も昨日ライブ会場でこれを買ったばかりので、他のアルバムはわからない。
もちろん非常に良質なアルバムだが、昨日のソロ・ヴォイス・パフォーマンスの方が数倍ぶっとんでいた。
自由に羽をのばし、はばたく姿はカッコイイものだ。

3月19日(月)

先日発行した、メルマガ「相模の風通信」の「歌は世に連れ」コーナーでパンクのことをとりあげたら、急にセックス・ピストルズを聴きたくなった。
アナログ盤があったはずである。
探した。
ない。
何回か人に貸しているから、最後に貸した誰かに貸しっぱなしで忘れてしまったのだろう。
なんていったって、聴くの7〜8年振りだからなぁ。

特別に好きなバンドではない。
この頃のパンクだったら、クラッシュやジャムの方がずっと好きだ。
だが、パンクの代名詞といったらこのバンドしかない。
そしてその毒は、今でもまがまがしい光を発している。
はずだ。
が。

昨日どうしても聴きたくて、CDを買った。もちろん「勝手にしやがれ」だ。
この邦題、いいよね。
久々に聴いてどうだったのか?

「結構メロディアスじゃん」
なんか、高校生の頃に聴いたときの、異様な疾走感、汚さ感が薄れている。
わりとまともなロックンロールに聞こえる。
これが、年月なのだろうか?
だってオレの記憶の中にある、「アナーキー・イン・ザ・UK」なんか、もっととんでもなく早いナンバーだった気がするのにな。
ばっちくて、やたら早い曲。
それが結構、曲の良さ、メロディラインの独特さなどに耳がいってしまう。
おい、セックス・ピストルズでメロの良さはないだろうが、と思いつつも、今やリアルタイムで聴いたときのような切実さはない。

やっぱり若くて、エネルギーだけは余ってて、一本気でその上バカだったからなのだろうか?

今聴いても、もちろんよい。
僕がパンクから受けた影響も未だ、残っていると思う。
でもパンクが懐かしくなるとは思わなかったな。

2001年のオレにふさわしく、この切り口で。
「勝手にしやがれ」の中でメロディのよい曲。
「アナーキー・イン・ザ・UK」「プリティ・ベイカント」を謹んでお薦めします。
しかし、こんな視点でパンクを薦める奴もいないだろうな。

3月18日(日)

パーシー・フェイス・オーケストラの「夏の日の恋」
甘ったるくてゴージャスなストリングスの曲だ。
最近ポップス系のオーケストラというのがない。
ま、確かにポップソングの流れから言ったら、需要もないのはわからなくはない。
だが、需要が少ないから全くなくていいかというと、そんなことない。

ちょっと前まで、デパートやスーパーなどでかかっているBGMは圧倒的にこの手の「イージーリスニング・オーケストラ」の曲が多かった。
あれは、ブライアン・イーノよりも環境音楽として優れていた。
邪魔にならず、緊張もせず、適度になごみ、しかもよく聴くと美しい。
一人で部屋に寝っころがって聴くと、結構リラックスもする。
やばい、癒されちゃったりもするのかもしれない。

色々な店のBGMがうるさくてしょうがないと、最近思うようになった。
もしワシが政権をとったら、店でかけていいのはヘンリー・マンシーニとマントヴァーニ・オーケストラとパーシー・フェイスの中から選べ、というお触れを出すかもしれんな。
正しいお買い物風景を、取り戻すために「買い」だ。

3月16日(金)

昨日、井上ともやすが相模の風ページ上で、新曲をリリースした。
「都会のカラス」という曲だ。

タイトなリズムギターと共に始まるイントロはワイルドな雰囲気たっぷりだ。
井上は妖しげな風貌、ガハハなイメージと裏腹に、サウンドメイキングにもかなり気を遣う男である。
この曲のサウンドの、計算と勢いが半々というのは、一リスナーとして凄く気持ちいい。やっぱりただモンじゃないよな。

彼は詩の世界にも独特の世界観を持っている。
メロディ・サウンド共々前向きである。
ただし、「なにが何でも前進」というタイプではない。
はいつくばった、泥をなめたこともある奴の「大変だけど、でも止まってるだけじゃダメだよな、行こうぜ」というのがにじみ出てくる。
いうまでもなく、能天気なだけの楽観男(オレか?)とは訳が違う。
通ってきた道が違うのだ。
これからも道すがら、見てきたモノ、感じた風をメロディに昇華させてくれ。

井上は大変熱い男である。
行動力も半端でない。
今週末は山梨だし、3、4月はレコーディングなども忙しいみたいだし。
初夏には広島だの博多だのでもライブだ。
落ちついた井上なんか見たくないからな。
どんどん転がってくれ。

まずは「都会のカラス」を『風の歌を聴きますか?』からダウンロードしてみてくれ。
「買い」だ。

3月14日(水)

かっぱにとって、大人の音楽、大人のサウンドとは、なにか?
いわゆるAORやブラコンの類にはあまり、大人性を感じない。
単に、こぎれいなだけの音楽、はお呼びじゃない。

渋みがあって
余裕があって
洗練されていて
適度にエッチ

これがかっぱ的大人サウンドの基本である。
アラン・トゥーサンの「ソウル・シスター」
まさに「大人」の音楽だ。
余裕綽々の演奏ぶり。
これはもちろん音楽的な実力が高いからこそなせる技だ。大容量のエンジンの高級車で、ぶっ飛ばさずに時速60kmくらいで走っている。
エッチ度は少々足りないが、懐が深いなと思わせる音。滋味に溢れている。
音の隙間が多いのも知性と渋みを感じさせる。
かっこいいなぁ。ほんとに。
ま、名前も「父さん」だしな。
大人のカッコイイサウンドに浸るために「買い」です。

3月13日(火)

久々に映画を。
「ハイ・フィディリティ」現在、恵比寿のガーデンシネマで公開中だ。
ジョン・キューザックの制作・主演。

時代背景は現在。
この主人公、30代半ば。
同棲していた彼女に出て行かれたばっかり。
レコード店経営。しかもアナログ中心。
ロックとソウルを中心としたやや偏屈な品揃え。
物事を「今週のトップファイブ」という視点で切り取る。
曰く、「雨の月曜の朝に聴く曲のトップファイブ」「A面一曲目の中から選ぶトップファイブ」「過去に振られた女で僕の心に傷を残した女のトップファイブ」...と延々とこの調子だ。
好きな女ができると、まずその子のためのオムニバステープを作る。
A面一曲目でがつんといって、2曲目はミディアムの渋め、3曲目はその時の自分の気持ちをそのまま唄ってくれているような曲...

なんだ、こいつは。
ほとんどそのまんまオレじゃないか?
もちろん、同棲していた女に逃げられたとか、レコード店経営とかは違うけど、思考パターンはそっくりだ。
ロックにやられちゃった、今、30代半ばというやつは、しょうもなく甘えクサっていて、夢ばっかり見ていて、未だにナマイキで、でも、なんとか前を向いて生きようとしている。
とても他人とは思えない。
映画の内容自体も、もちろん面白いが、「こいつは同類だ!」という切なさがある。
「パンク!!」などという、いさましいかけ声にその気になって、未だ、そのまんまできちゃっている人たちよ!映画館にGO!だ。
まだまだこれからだ。

3月11日(日)

昨日、横浜アリーナへキッスを見に行ってきた。
なんでも、メイク版キッスのフェアウェルツアーだそうだ。
キッスは普通に好き、という程度だが、我々世代にはなんといっても思い入れがある。
かっぱが初めてやった洋楽のコピーバンドは、高校三年の時のキッスのコピーだ。
いわば、恩のあるバンドである。
そして今まで一度も見に行ったことがなかった。
最後のツアーともなれば、これはもう行くのは義務のようなものである。

会場に入った途端1977年にタイムスリップした。
多少はいるだろうと思っていたが、予想以上にキッス・メイクをしたお客さんが多い。
一等賞は家族4人連れで
・パパ(推定38歳)...エース・フレーリーのメイクフルコピー&衣装も完全コピー。エースのだと、宇宙人みたいな肩パッドつき。もちろんブーツも。周りのお客さんから握手を求められていた。
・長男(推定8歳)...ピーター・クリスのメイク
・次男(推定6歳)...ポール・スタンレーの星メイク
・ママ... さすがにメイクはしていなかったがキッスTシャツ。
素晴らしい家族だ。
多分パパは普段は普通のサラリーマンだと思う。
だが30代のしぶといロックファンはここまでやってくれるのだ。

キッスのコンサートはロックにおけるディズニーランドだ。
予定調和といってしまえばそれまで。
だが、誰もが知っている、期待していることを絶対外さない。
みんなを満腹にさせる。
もちろん音楽的に新しいことなんかは一つもやらない。
やるわけがない。
でもそれでいいのだ。

一曲目はなにも考えなくてもこれしかないだろうという曲。
当然「デトロイト・ロック・シティ」だ。
イントロと同時に花火がバンバン鳴る。天井近くからステージごとリフトで降りてくる。
こけおどし、といってしまえばそうなのだが、でも見ている方にはとてもインパクトがある。
楽しい。

とにかく、やりそうなことは、お約束のことは全部やる。
ファイヤーハウスでのジーン・シモンズの火吹き。
ジーンはいたるところで、舌をべろべろさせている。
雷神では血も流すし、ラブ・ガンでは宙づりになってくれた。
花火はもう至る所で鳴りまくりである。
それに3曲に1回はちゃんと客を煽ってくれる。
こっちはバカみたいに拳を振り上げて「いえー」とか言っていれば自然と盛り上がる。
なんてったって開口一番「あーゆーれでぃとぅ、ろっくんろ〜る?」
である。
今時、こんな親切な事を言ってくれるミュージシャンはいない。
オアシスの奴らが言ってくれるとは思えない。

彼らの姿勢はロッカーと言うより、エンターテイナーのノリである。
チケット代払った分の楽しみは、絶対に提供するぞ、という気合が見える。
レッド・ツェッペリンやストーンズの系譜ではなく、フレッド・アステアやフランク・シナトラのノリを継承している人たちなのだ。
そして、それは大変に凄い事だと思う。

だけど、演奏は当然「ロック」としてかっこいい。
「ショックミー」「コールドジン」「ラブガン」は演奏のかっこよさ、密度でも群を抜いていた。
最後の方で、「よこはま、うぃ ラブ ゆー!」とポールが叫んでいた。
彼のこの言葉には、一切のウソはないはずだ。
お客を徹底的に楽しませることに、命を懸けているバンド、キッスはこれでフェアウェルである。

2回目のアンコール「ロックンロールオールナイト」
僕がキッスのナンバーでいちばん好きな曲だ。
イントロが始まり、花吹雪がどかんと吹き出した。
僕も大声でポールと一緒に唄った。
サビになったら、ぜったいこんなことある訳ないと思っていたのに、涙が溢れてきた。
冗談じゃない、キッスのコンサートで泣くなんて。
でも、「あーうぉなろっくんろーおーない!」と叫んでるはずの僕の声がどんどんグズグズになっていく。
そして大粒の涙が、次から次へと頬を伝っていった。
ありがとう。
なんといっても、高校の時にコピーしたバンドだもん。

3月10日(土)

今まで見たこともない早さで、オレの周りが動いている。
もちろん、ホームページで、そして現実の場面で動き回った成果だ。
相模の風を始めてから、特に今年に入ってからホントに色々な人と知り合った。
色々な動きが出てきた。
「らしく」なってきた。
今、オレの脳みそも感性も体も120%動いている。
嬉しいことに(恐ろしいことに、でもあるが)掃除の仕事の方も、今はかきいれどきで、連日フル回転状況だ。
素晴らしい。

ちょっと対応が甘くなっていることも、正直少しはある。
オレの容量を超えつつあるな、と思わないでもない。
だが、これは、「かっぱに対する、仕事人石原に対する需要」が増えているのである。大変喜ばしい。
だからみんなもっとオレに声をかけてくれ。
もっと忙しくさせてくれ。
オレは少なくとも神奈川県でいちばん幸せなワーカホリックだ。

そんな状況のまんまの曲、ヒューイ・ルイス&ザ・ニュースの「ワーキン・フォー・ザ・リビン」
でも苦しい仕事の訳じゃないから、気分はタートルズの「ハッピー・トゥゲザー」
楽しい仕事をしてる人は「買い」ね。

3月8日(木)

エリック・クラプトンの新譜が出たが、今日は、エリック・カルメン率いる、ラズベリーズである。
エリック・カルメンという名前といい、ラズベリーズというバンド名といい、よくもまあ恥ずかしい名をいけしゃあしゃあと...という感じである。
こういう人であるから、曲は当然恥ずかしい。
「アイ・ウォナ・ビー・ウィズ・ユー」ね?恥ずかしいでしょ。
邦題はもっとすごい。
「明日を生きよう」だったと思う。たしか。

曲調も演奏もあっけらかんと恥ずかしい。
よくもまあ、いけしゃあしゃあと...

かっこいいのだ、これが。
たしかに恥ずかしいセンをも見事にまたいでしまっているのだが、POPなのに妙にひずんだ音といい、力一杯のコーラスといい、そしてイナたいポール・マッカートニーといった趣のエリックのボーカルといい、紙一重のところでカッコイイ。
これもかっぱお気に入りの「青春系」の音だ。
ちょっと顔を赤らめながらも「買い」です。

3月6日(火)

ハービー・ハンコック「ウォーター・メロンマン」
ウォーターメロンマンとは西瓜売りのことだそうだ。
この曲って西瓜売りかなぁ?と、思わなくもないが、ブルージーなかっこいい曲である。
マイルズ・デイヴィスのバンドに入る直前の録音なのだが、小難しい技に走る前のレアなハービーが初々しい。
いや、マイルズ・黄金クインテットでのプレイももちろん素晴らしいのだが、まだまだ、青い感じが濃厚にあり、しかもストレートなブルースチューン。
ほんとにこの人の原点はここなのだろうなと思わせる、てらいのない音だ。
若いときにこそ出せる音の一つだと思うな。
もうかっぱは「ヤング」と言い張るにはいささかトウが立っているので、この演奏がまぶしくかつ羨ましい。
でもハービーもいまや60歳過ぎてるし、ま、いいか。
青くかつ渋いという、一見二律背反的なことが両立している、いかしたナンバー「ウォーターメロンマン」を「買い」です。

3月5日(月)

ライブも終わり、とりあえず平常営業モードに。
といいつつ、わしも完全にミュージシャン体質に復帰。
生き返ったぜ。
楽しいなぁ。音楽って。

ワシの連載原稿が遅れまくっているが、他のライターには、えらそうに「締め切り日までによろしく」なんて言ってる。ごめんね、SYUNJI、kskr。
でも今日のお薦めは間を空けません。
こんな楽しさを持続させるには、今日はこの人。
レス・マッキャン。
ソウルの人でもありジャズの人でもある。
どっちでもいいや。
1967年のアルバムに収録の「バン!バン!」
かけ声だけのインスト曲なんだが。
無類に楽しい。最高!!
無邪気な高揚感にあっというまに包まれるよ。
こういう根拠のないハイな状態で、フラフラしていたいな。
いつまでも続かないのはわかっているけど。
でも、楽しもうね。みんな!!

3月3日(土)

いよいよ明日はかっぱの復活ライブである。
このページとつながりの深い、セクシーみつきの主催ライブ、「キングズ・クレセント・ライブ」に当ページのすみよしたけし&ざっくばらんすと共に出演する。
なんと4年半ぶりである。
このライブが決まってからは「ライブパフォーマー養成ギプス」を取り付け、日夜鍛錬に励んだ。
ま、ライブなんてやってみなけりゃ分からないし、結果オーライでもある。
とにかく最善をつくします。

そんな時により高揚するために、ライブ盤の傑作を紹介。
ダニー・ハザウェイの「ライブ」である。1972年の録音。
もう全曲傑作・名演なのだが、特に冒頭2曲のつながり、盛り上がりが素晴らしく凄まじい。
これを聴くとよく分かるが、ライブにおいてはお客さんだって演奏者なのである。
2曲目の「ゲットー」が始まったときの歓声の熱さ、そして手拍子が演奏と拮抗するようにグルーヴを生み出す。
もちろんかっぱがダニーに及ぶべくもないが、気持ちは、ここまで持っていく。
明日は楽しもうっと。

 

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