Quappaの今日のお薦め
ほぼ毎日更新!!!
当「相模の風レコード」の管理人をつとめる、そして楽曲掲載ミュージシャンでもあるQuappaがその日の気分で音楽や映画、本などを紹介していきます。
9月、10月の分は、それぞれファイルにまとめました。
2000年9月の「Quappaの今日のお薦め」を見る
2000年10月の「Quappaの今日のお薦め」を見る
2000年11月
11/30(木)
ちょっと、風邪が長引いている。
鼻が詰まって、アタマが重い。味覚だって変だ。
こういうときには音楽の聞こえ方だって違うのかもなぁ。
日常の感覚から逸脱していく、いける、というのは、音楽の持つ特性の一つだと思う。
ちょっと寄り道、グルッと裏返し、とにかく遠くまで、となんでもござれだ。
疲れたときは羊水の中でプカプカしていたい。
赤ん坊に戻ってしまうのだ。
マイルズ・デイヴィス「イン・ア・サイレント・ウェイ」。
1969年、同名アルバムに収録。
マイルズの中で、いちばん柔らかいアルバムだ。
僕はマイルズという人は、こわもての印象とは裏腹に実は女性的なこまやかさ、感性も併せ持った人だったのでは、とにらんでいるのだが、彼のそういう部分がいちばん顕著に現れたアルバムだと思う。
音に抱かれてるとあっという間に時間が過ぎる。
ループしているような、少しずつ変化していく流れ。
身を任せていればいいのだ。音はゆっくりと僕を、君を、とかしていく。
春の目覚めのような音が終わったとき、僕らの中には何かが芽吹くだろう。
出会って良かった。素晴らしい音楽に。
11/29(水)
今日はちょっと、壊れかけてる。
そんなときは、なごみ系ブットビ音楽を聴いて「癒されよう」。
(今日のお薦め11/16参照)
マーティン・デニーの「スキヤキ」だ。
そう、ご存知・九ちゃんの「上を向いて歩こう」のインスト版のカバーだ。
面妖なシロモノである。
ハワイアン+ちょびっとジャズ+中国がだいぶ入っているカン違い日本趣味〜ゲイシャ・フジヤマ感覚といったらいいか。ドラだの三味線だのもガンガン鳴ってる。
原曲の雰囲気も含めて好きだ、という人が聴いたら目をひんむくようなアレンジ、演奏ぶりだ。
今の音に慣れきっている人は、ある種の恥ずかしさを覚えるかもしれない。それくらいのインパクトである。
恥ずかしさを喚起させるサウンドなんて、なかなかお目にかかれない。
ゲテモノ好きのQuappaのことである。とーぜん大好きだ。
聴く度に大笑いできるのだ。「変だよ、これ!」と毎回声に出して言いたくなる。
これはかなり真似したくなる、というか、どういう音楽構造をしているのだろう、なにがこの怪しさを醸し出しているのだろうと解析したくなる。
オレも次の次くらいにこのページにアップする曲でやってみようかな、こういう怪しい妖しいサウンド。
自分たちで作れたら楽しいだろうな。
あやしい音楽人になりたい人は「買い」。
ハワイアンのコーナーにあったり、エスニック・ワールドミュージックのところに置いてあったり、ジャズのコーナーにあったり。
レコードショップの人たちをも、混乱に陥れているようである。
11/28(火)
ルー・リードは暗黒大魔王である。
でも暗黒の人が昼の顔を何気に見せるのも、結構カッコイイ。
1975年、「コニーアイランド・ベイビー」。同名アルバム収録。
毒っ気はまるでない曲である。
朝食を終えたあと、ゆっくり紅茶を飲んでから歌ったという趣だ。
でも多大なる毒を持っている人が、さらっとした唄を歌うと、厚みが違う。
あの爬虫類声で歌われるとなおさらだ。
切ないかんじに浸れるルー・リードの曲というのはあまりない。
結構乙なものである。
絶対に戻れない青春を、淡々と振り返った名曲。
素直に「買い」です。
11/27(月)
月に一度くらい、強烈にハードロックモードにはいることがある。
日常的に聴きたい音ではないのだが、中毒患者がヤクが切れた状態になってしまう。
ベック・ボガード&アピス「迷信」
曲はスティービー・ワンダー、彼のバージョンもファンキーでかっこいい。
だがBB&Aバージョンは、Quappa的には全ハードロックの中でも5本の指に入るムチャカッコイイ演奏である。
これをカッコイイといわずしてなにがかっこいいのか?
イントロのトーキングモジュレーター(知ってるぅ?教えてあーげないっと)からディストーションギターに切り替わる瞬間、あの一瞬こそがロックである。ボリュームはでかければでかいほどよろしい。喜ばしい。
あー言葉がもどかしい。
暴力的な感覚と解放される感覚とがごちゃまぜにほとばしる。
さいこーだ。
意味もなく勝手に体が動く。多分他人がその様子をのぞいたら単なるタコ踊りだろうが。
意味なくタコ踊り状態、になるために「買い」!
11/26(日)
強さの裏には弱さがある。
相互に補完しあっている。
正気と裏腹の狂気。これもそうだ。
誰もがその配分こそ違え、両方持っている。
ピンク・フロイドの「Wish you were here」。
1975年、同名アルバムに収録。
前フリからピンク・フロイドの「狂気」を想像した人もいるかもしれない。
しかしあのアルバムはいたって正常なアルバムだ。
けなしているわけではない。
創られたときの心情がそうなのだ。
アタマがいっちゃいそうなときには、あんなアルバムは作れない。
それにひきかえ、この曲は狂気を内側にこめた、哀しみの曲だ。
ピンク・フロイドは僕にとって随分長い間、遠いバンドだった。
大体、プログレが嫌いなのだ。
だが、30過ぎて聴いたピンク・フロイドはまるっきりブルースに聞こえた。
もちろん音の装飾やこまかいしかけには、いわゆるプログレ風のものはある。
だが、僕にはロジャー・ウォーターズの深い悲しみが、リアルに伝わってくる。
誠実な嘆きの人なのだ、彼は。
よく言われているように、この曲はバンドがバカ売れして、ものすごいプレッシャーがかかっている時に作られた。
しかも売れたのがよりによってヘビー級のメッセージを詰め込んだ「狂気」である。
当然、深いレベルで理解されたわけではなく、当時の理解のされ方は乱暴に言ってしまえば、「高級そうなムードミュージック」であろう。
ロジャーは当惑した。しかも真面目なミュージシャンの彼のこと、その次にみんなの心の奥に届けるべきもののは何?と考えたときにドツボにはまった、というのは容易に想像がつく。
そのいちばん誠実な答えがこの曲なのだ。
向こう側に行きそうな(あるいは行ってしまいたい)ぎりぎりのところで、留まっている。
折れそうな、でも折れない強さがこの曲にある。
Quappaが泣いてしまった曲である。
世の中にはどうにもならないこともいっぱいある。
そんなときに、向こう側に行ってしまった人に思いを馳せたとて、誰が責められようか?
泣け。
11/25(土)
ついさっき、11/25、23:30に新曲のアップロードをした。
ttyの「Lab&Piece」と井上ともやすの「Hello!!new age」だ。
当然、今日はこれを薦める。
初めての曲掲載になる井上の曲からいこう。
「Hello!! new age」
非常に前向きな歌だ。
力強くてpopだ。つまり開かれている、ということだ。
彼は歌の中でいろいろなものと戦っている。
楽ではないのは分かり切っているが、前へ進もうとしている。
その意志がこの曲の骨を形成している。
この曲を、心で深呼吸しながら奥深く取り込もう。
彼の広い愛を我々は消費しよう。
そしてtty「Lab&Piece」
ここでの音は異様に醒めている。冷めているともいえる。
暖かい音でないのは間違いない。
彼はここでは、間違ってもそんなものは目指していない。
「カジョウな」ものを切り捨てた、シンプルなリフの繰り返し。
冷たい音だが、3回以上続けて聴くと分かる。
かれは、あっちこっちに毒を仕掛けている。
体に良くない悪い癖になる音楽だ。
大変危険である。でもやめられないぜ。
まだ、このページの音源は無料だから「買い」という必要はない。
必ずダウンロードするように!
頼むよ!!。
ピース。
11/24(金)
ホームページを始めて2ヶ月半。
自分の感覚がどんどん変わっていく。
物事の変化のスピード感が違ってきたようなのだ。
そういうものに対し、鋭敏になってきた。もちろん世界は動き続けている。
それに自分も少しは関わっているのだな、というのが肌で分かる気がするのだ。
また、いつもの誇大妄想が始まったね。
と偉げな出だしなのに、実は今日のQuappaはへろへろ。
風邪気味なのだ。
気合で風邪吹き飛ばす、などと普段は豪語しているのだが...
すんません、というかんじだな。
そういうときはハードな曲、鋭いタッチの曲に向き合うだけの体力がない。
音楽を真剣に聴く、というのはかなり体力のいることなのだよ。
こういうときは、和み系だ。
我が最愛のキンクス。1973年「プリザベーション act1」にはいっている「Sitting in the midday sun」。
でも邦題の方が気分が出てるな。「ひなたぼっこが俺の趣味」。
ね。これだけで見えてくるでしょ。
キンクスのこのへんの、つまりブリティッシュ・フォークなかんじ+キャバレーティストの曲というのは、だらだらしながら聴くにはいちばんだ。
自分で言うのはなんだが、人から見ると僕は、けっこうちゃきちゃき、ぱっぱっとものごとを進めていくように見えるらしい。
はっきりいって誤解です。
ホントはのてのてしてる方がいいのだ。
ただそればっかりだと、あっという間にジジイになってしまうというのを知っているから、時に無理しつつも時に走り、時に歩き、となるべく前へ進もうとしているだけなのだ。
でも、今日みたいに体調不良の時くらいはゆっくりしていい。
大手を振ってゆっくりしていい。
えらそーにゆっくりと...あーわかった。
ほっとくと延々続く。
つまりは調子の悪いときなんかに、この曲を小さなボリュームでかけて聴いてると、小学生の頃の病気で学校を休んで天井を見ながら所在なくウツラウツラしているかんじが甦るのだ。それは悪い気分ではない。
ちょっと調子の悪い人は「買い」だ。
11/23(木)
不思議な音の触感を持った人。
カエターノ・ヴェローゾ。ブラジルのミュージシャンである。
「イレー・アエー」
柔らかくて、拡がりがあって、しかも麻薬のような癖になるサウンド。
音の表面からは、過激なものは見えない。
だがよーく耳を澄ませると、彼の音に潜む、甘美な毒に気づく。
ゆっくりと痺れていく。
2000年のこの世界に生きる音楽家の中では、数少ない「お宝」クラスの人だ。
ベスト盤「カエタニッシモ」に収録。最高級の音楽です。
なにはなくとも、買いです。
11/22(水)
久々に映画で行こうかな。
コッポラ監督の1979年の大々傑作、「地獄の黙示録」。
もう隅から隅まで好きだから、批評のしようがないのだが、この映画の骨はあの不気味な川をよろよろと遡って行くところである。
周りは、ベトコンだらけ。
いつおそわれるか分からない不安とプレッシャーのなか、ボートを進める。
当然乗員はキレる寸前の状況である。そういうときに人間はどうなるか、コッポラは冷徹な視線で追っていく。
コッポラに愛はない。彼はものすごい情熱を持って、とてつもなく冷徹な空間を生み出した。
当然、反戦などは歌い上げていない。かといって好戦的なわけでもない。
まだ、ベトナムの生々しさが消えていない、1979年のアメリカ人がありのままに見つめた「戦争」の姿がある。
僕の親父は今では数少ない第二次大戦の出征兵士だ。
おじいちゃんではなく、親父が、である。
1945年の7月の末に召集され、8/15で終戦。逃げるまもなくロシアにとっつかまり、シベリアに抑留。3年半の間に仲間の1/3は死んだそうだ。もし親父も死んでいたら、俺は生まれてない。
親父は人を殺したのだろうか?
召集された時期から考えて、その可能性は低いように思うが、兵士である以上それがあったとしても何ら不思議ではない。
でも俺にはどっちでもいい。
親父が殺していたとしても俺は、そのことで親父に対する考え方が変わったりはしない。
理想主義に燃える青年だった頃は、ちょっぴり悩んだこともあった。
そして、その時も今も「お父さん、あなたは人を殺したかい?」などとは、聞いたことがない。
聞けるわけがない。
だが、今は全然悩まない。
そんなことがあろうがなかろうが、俺は全面的に親父を肯定する。
だいぶ話がとんだ。
直接の戦争経験のない俺は、この映画と、親父から聞いた話がリンクしているだけなのだ。
そして小さい頃からそういう話を聞いているが故に、僕も戦争を体験しているのだ。
親父の血を通して。
そしてこの映画は、僕の血が封印した記憶を呼び覚ますのだ。
11/21(火)
おとといは、抽象的なエロを感じさせるサウンドだったが、今日はもろ。
この「お薦め」がエロページになる日も近い?
ジェーン・バーキン&セルジェ・ゲーンズブールの「ジュ・テーム」だ。
サウンド自体はエロ度は低いです。
60年代の半ばの録音(正確な年がわからない)で、わりとゴスペルっぽいオルガンとストリングスをフューチャーしたサウンドは、どちらかというと綺麗目である。
しかし、この頃ジェーンはゲーンズブールに「飼われ」始めた頃。
ヴォーカルと言うよりも、二人のベッドでの睦言とあえぎ声をそのまんま録音したようなもの。
なんだ、ただのゲテモノじゃんと思ったあなた、正解です。
でも聴く価値のあるゲテモノだぜ。だってそんな際物にも関わらず音楽として聴いたってちゃんと面白いもの。
ささやきと歌の境界線上をさまよう「ヴォーカル」。
あえぎ声だって心なしか音楽的に聞こえる。」(といっても直接的に十分エロなんだけど)
彼女いない歴5年のやつが聴いたら、それだけで性犯罪に走るかもしれないな。
AVなんかより、想像の余地がでかいだけ、エロ度は高い。
いうまでもなく、直接的に見せるモノより、想像をたくましくするほうが、興奮する。
かなり罪だ。
想像をたくましくしたい人は、「買い」だ。
11/19(日)
今日はサウンドにおけるエロ。
えーエッチなかんじのサウンドといっても、あえぎ声が入っているとか、歌詞がエッチとかではない。
それはそれで、エッチ感を出す要素ではあるのだが、あまりにも直接的だし、だれが聴いても分かる。オノヨーコの「キス キス キス」なんてすごいぞ。
そうではなく、もう少し抽象度が高いエッチ感覚とは。
あ、これ結構掘り下げられそうだな。
こんどやろうかな「あなたが選ぶエッチサウンド大賞」
たとえば、サンタナ、とか、プリンスのサウンドはかなりきてる。
ま、プリンスは歌詞もエッチなのが多いが。
あと普段はそういうイメージじゃないけど、その曲のサウンドだけは、エッチというのもある。
そういうのと出会うと結構楽しい。
今回は後者の方で、ニール・ヤング。「トゥナイト・ザ・ナイト」だ。同名アルバム収録。
全然ラブソングでもない。ドラッグで死んでしまった友人への鎮魂歌である。
当然重く暗いサウンドだ。
だが、妙にねっとりとして、性的な雰囲気を感じてしまう。
ところどころ、「そのもの」にも聞こえてしまう。
そんなこと感じるのは、俺だけかなぁ。
みんなもそう思うのか、確認したいという意味で買い、かな。
11/18(土)
クインシー・ジョーンズ。
この人は商売人というイメージが災いしてか、非常に評価が低い。
今では時流からもはずれてしまい、過去の人扱いだ。
でも、音楽的才能とビジネスの才能は別モンだと思うんだけどなぁ。
ソウルの本でみると、「ソウルを切り売りするビジネスマン」だし、ジャズの本では、「中途半端にソウルにすり寄っていった中途半端なジャズマン」みたいな扱いだし。
確かにマイケル・ジャクソンのプロデュースとかして、そうみられるのも分からなくはないけど。
でも彼のオーケストラやアレンジの音を聴いたらそんな人ではないと思うんだけどなぁ。
血中ソウル濃度は高いぜ、この人。
音楽に対する愛情も深いと思うよ。
ミルト・ジャクソンと一緒にやってるアルバムなんか、愛聴盤だもん。
是非あなたの耳で聴いて確かめてほしい。
いちばん有名で今でもよくCMなどに使われる、「ソウル・ボサノヴァ」が入っている、「ビッグバンド・ボサノヴァ」
ボサのアルバムとして聴くと、あれっというところもなくはないが、小難しいことを考えずに聴けば、楽しいアルバムだ。
ビッグバンドの鳴りの良さがよくでているし、バンドのメンツもローランド・カークだの、フィル・ウッズだの強者揃いだ。
もしクインシーがただの商売人だったら、こんなくせ者どもがついいて行くわけがない。
低評価を覆すためにみんなで買いだ。
11/16(木)
癒し、だの癒し系だのと最近いろいろなところで目にする。
一度、腰を据えてこのことは書かなければ、と思っているのだが、一言で言って胡散臭い。
音を聴いて癒されるとは、どういうことなのだろうか?どういう状態なのだろうか?
誰かわかりやすく教えて欲しい。
音楽によるこやし、もとい、癒しについては、いつかしっかりと書く。
とりあえず今日は、その対極にある一曲。
僕が日常的に聴く音楽の6割くらいは、いわゆるロックだ。
ロック自体、癒しなどというものからかなり離れているが、その中でもとりわけ不安定な状態を歌にするとこうなる。
ドアーズの「ムーンライト・ドライブ」。1968年の二枚目「ストレンジ・デイズ」に収録。
聴く者に弛緩した状態を許さないジム・モリソンのヴォーカル。彼は声だけで既に天才だったのだ。
月が浮かぶ空に我々を放りあげるスライドギター。しかし夢見心地ではいさせてくれない。
放り投げられたあとは、ゆっくりと落下していくのだ。
ドアーズは、その魔法そのものの音楽で、聴く者をあちらこちらと引きずり回す。
音楽ごときで安易に癒されたくない奴のみ「買い」だ。
11/15(水)
1960年代に新宿で育つ、というのはどういうかんじだったのだろうか?
チャボ=仲井戸麗市はそういう環境で育った人だ。
70年代に相模原の田舎で育つのとは明らかに違う、というのは分かるが。
1990年発売の「絵」の1曲目「ホームタウン」は、おそらくはその頃の新宿を、モチーフとして描いた曲だ。
帰るべき場所を持っている人が多く集まる「新宿」という場所で、帰るべき故郷がそこなのだ、というのは、どんな気持ちなのだろうか?
ここで歌われてるのは、「帰る場所がない奴のブルース」だ。
重く沈んだサウンド。起伏の少ないメロディ。
チャボはそんなホームタウンを嫌ってるわけでも、嘆いているわけでもない。
ただ彼には帰るところはここしかない。
ギターはひたすら泣き叫ぶ。
心が騒ぐ。
彼にとって、安住の地でないことだけは確かだ。
思いっきり寄りかかることができないところで、今だって彼は立っている。
そしてこの、頼りなげな感覚を共有できることで、チャボの歌を全面的に信頼できる。
宙ぶらりんな人は買いだ。
11/13(月)
イージーでいい加減でかっこいい。
といったら、T.REXだ。
いや、本人達は真面目にやってたんだろうけど、なんかエエ加減なかんじがして好きだ。
妙に脱力感を誘うシャウト、ちりめんビブラートの面妖なヴォーカル。タイトだけどうまいんだか下手なんだかよくわからないギター。ゴージャスなのにチープ、かつちょっと下品なトニー・ビスコンティのアレンジするストリングス。
要するに変だ。
70年代前半はアイドル人気だったそうな。なんでこんな音でアイドル人気を獲得できるのか、まったくもって不思議だ。
そんなつかみどころのないT.REX、大好きである。
そんな中でもいちばん、楽しさとちょびっとの哀しみを詰め込んだナンバー「メタル・グルー」
別にヘビメタってる曲ではない。すごくポップ。全開ではなくはかとなく、翳っている。
なんか日が沈むのが早くなるこんな時期になると妙にしみるんだよな。T.REX。
ひっそりと、小さな声で「買い」 だ。
11/12(日)
ホームページを本オープンしてからというもの、時間が矢のように過ぎてゆく。滅茶苦茶早い。
ホームページ管理、ハウスクリーニング、そしてミュージシャンと3足のわらじを履く、兼業ミュージシャンのQuappaである。
ただ、運営しているQuappaとしては、すごく面白い。こんな面白いことやらせてもらってていいのかしらんと思うくらいである。
だけど、限られた時間でよりよいものを作るというのは、楽でないのは確かだ。
今、石原の今までの人生の中で、いちばん脳みそと体力がフル稼働しているんじゃないかと思う。
自慢じゃないが仕事が速い訳じゃない。結構自分の能力を疑う場面もある。
まだるっこしいこと、多々あり。
そんなとき、この曲がアタマをよぎったりする。
ローリング・ストーンズ「タイム・ウェイツ・フォー・ノー・ワン」
アルバム「イッツ・オンリー・ロックンロール」に収録。
時は誰も待っちゃくれないってか。
ま、焦らずに着実にだ。
そんなQuappaと相模の風を応援してくれ。
11/11(土)
前にバンドを一緒にやっていた奴に久々にあった。
久々だから音楽四方山話にハナが咲いた。
俺とあいつの共通項は色々あるけど、いちばんは「ビートルズ好き」である。
しかもお互いマニアックで深い。「今更ビートルズのベスト盤(昨日発売らしい)なんか買う奴なんていもだよなぁ」などとカルトファン特有の排他的な会話を、上品に楽しんでいた。
特にこの曲の話題で盛り上がった。
今日のシチュエーションにもぴったり。
「ウィズ・ア・リトルヘルプ・フロム・マイフレンズ」
友達って大事だなってホントに素直に思えるぞ。大事だよ。
11/9(木)
今日はサニーデイ・サービスの「ラブアルバム」。最新リリースのアルバムだ。
このコーナーでは、割と古めの曲を紹介することが多いが、ちゃんとQuappaは新しもんも聴いているのだよ。なぁ〜んて明日はまた、滅茶苦茶古い曲で行こうっと。
大体僕よりも5〜6歳も年下なのに、こんないいアルバムをリリースするなんてけしからん。
といっても、向こうはメジャー(MIDIレコード)。こっちは相模の風である。今時点での実力の開きはしょうがない。
待ってろよ。メジャーになるから、相模の風全体でね。
いささか棘のある愛が詰まってる「ラブアルバム」である。
でも音の作りは、まろやか。さっぱりとねっとり風味(どっちだぁ)。非常に心地よい。
リピートで何回も聴いてしまう。
でもちょっぴりくやしいから、買いとは言わない。
サニーデイ買うなら、相模の風の曲をダウンロード!!!
ピース!
11/8(水)
レニー・クラビッツのべスト盤を買った。
彼の1stアルバムを聴いた時の衝撃を思い出した。
彼には失礼な話だが、その音楽に衝撃を受けたのではない。
いや音楽だって、もちろんいい。
だが1stを聴いたとき、思ったのは、「こんな音でもいいんだ」である。
このアルバムがでたのは、1989年。悪しき80年代サウンドが、80年代ゆえに現役で頑張っていた頃だ。
80年代サウンドの特徴をおおざっぱに言ってしまうと、
・薄っぺらなゴージャス感を醸し出す、デジタルリヴァーブ全開
・これでもかのシンセ&打ち込み
・ヴォーカルを引っ込めたミックス
・ばしばしうるさいゲートドラム
である。
うなづいてしまうでしょ?
で、レニーの1stは一切そういったものを使っていなかったのだ。
もちろん貧乏で機材が使えなかったわけではない。
確信犯だった。
大体この時点では、オールアナログで録る方が、かえって高くついたのでは、ないだろうか?
嫌いだぁ、といいつつ80年代サウンドに毒された耳には、かなり違和感がある音だった。ごつごつしすぎている。
だが音の触感が耳から離れない。
つい聴いてしまう。
だんだんと気持ちよくなる。
レニーは分かっていたからあの音にしたのだ。
自分の音楽を的確に伝えるには、アレンジや演奏の質以前に、「あのサウンド」でなければ絶対ダメだと確信をもっていたのだ。
そういう彼の気持ちが伝わってくる音である。
そしてあのアルバム以降、90年代のレコーディングにおける音作りの現場で「あのサウンド」はスタンダードのひとつとなっていった。
この一点だけで革命的だ。
レニーの音楽性には全然ふれなかった。
ごめんね、れにーちゃん。
もちろん好きだからプッシュしてるのだ。
レニークラビッツ「レット・ラブ・ルール」2000年発売「グレーテストヒッツ」大々的に買いです。
11/7(火)
村上龍には、人を煽る力がある。
僕は乗せられっぱなしだ。
「希望の国のエクソダス」文芸春秋社刊。
力強い。
パキスタンで地雷処理をする16歳、に刺激を受けた中学生が集団不登校を起こし、それをきっかけにネットワークを生かしたインターネットビジネス設立。それを発展させて、さらには...と物語の概要だけを書き出すと、荒唐無稽である。
だが、ここにはポジティブなエネルギーが溢れている。
単純に人を鼓舞するようなストーリーでは、ない。
日本の経済の現状にしろ、教育の状態にしろ、今自分が知っている状況といちいち照らし合わせ自分のアタマで考えることを強いられる。
きちんと読んだらかなり疲れる作品だ。暇つぶしに読む、という読み方を許してくれない。
だが、たとえば僕のようにあやしげな自営業者にとっては、非常に勇気の湧くものだ。もちろん自分をこの物語の主人公になぞらえたってしょうがない。
僕は僕の仕事を、物語をきざんでいくだけだ。
ある意味では、この物語で語られていることは非常にシンプルだ。
お前はお前のアタマで考えて、それを自分のリスクとして行動すればいいんじゃん。
ということだけといってもいいからだ。ただ、それをより有効に語るために、彼はこれだけのストーリーを必要としたのだと思う。
面白くてエキサイティングです。
但し、今の自分の基盤を不用意に揺さぶられたくない人は、読むなよ。
それ以外の人は、買いだ。
11/6(月)
闇を切り裂くような演奏、といってもいわゆる、ハードな、あるいはヘビーメタルな演奏のことでは、ない。
ケニー・ドリュートリオの「ラン・アウェイ」
ジャケットも素晴らしい「ダーク・ビューティ」に収録。
ほんとに切れ味がよくって、ぱりっとしていてすっきりしている。
こういう演奏は自分の中の何かも、すっと裂いていく。
そこからなにがしかのものが、こぼれ落ちたりするわけだ。
最近つくづく思う。
無駄な時間なんてない。なんだかんだエンジンのかかるのは、遅いほうだ。
仕事が遅いのもいいとしても、漫然と行くなよ。と、自分に言い聞かせている。
最初は良かったのに途中でどんどんダメになっていった人なんていっぱいいる。
彼らだって、彼らなりに一生懸命にはやっていたはずなのだ。
いつまでも輝いて、というのは無理なのかもしれない。
でも少しでも良い形で生き延びる。これなら僕にもなんとかなるかもしれない。
もっとも生き延びるだけでも大変なことなのだが。
今日もサバイバルだ。
11/5(日)
江ノ島へ行って来た。朝起きたら天気が良かった。
こんな日は家にいちゃいけない。
わりと遅く起きたので、そんなに遠くなく気持ちの良さそうなところ、と考えたら江ノ島だったのだ。
良かったよ。柔らかい日射しの中で波をぼーっと見てた。
途中30分くらい寝た。
極楽だ。
海だからビーチボーイズ、と安易なことも考えたが、この前取り上げたばかりなので、今日は別な人で。
今ぐらいの暑すぎず寒すぎず、という頃のお日様で思い出すのは、ビートルズ、ジョージ・ハリソンの「ヒア・カムス・ザ・サン」」だ。
中学三年生の時、ラジオでこの曲を聴き、聴いた瞬間大好きになった。
乏しい小遣いの中から、600円也を捻出してシングル盤を買った。ほんとに何百回と聴いた。
今でもあるこのシングルは、本当にぼろぼろ、音もがりがりである。
でも今聴いても、心が柔らかい陽射しにおおわれる。
大好きだ。
11/4(土)
本オープン以来の、異様な高揚が収まりつつある。
あんなハイテンションでずっといったら、どうにかなってしまう。
そんな、少し落ちついたところで。
フェイセズの「グラッド&ソーリー」。
ロッド・スチュアートが看板だったこのバンド。でもこれは、ベースのロニーレーンの曲だ。
この頃のロッド、そしてフェイセズは「男の情けなさ、切なさ」みたいなかんじを歌わせると最高である。情けない歌選手権をやったら上位入賞間違いなし。この手の情けなさだとソロになってからのジョン・レノンもかなりいい線いってるけど。
切なくて優しい歌なのに、サウンドは変化と陰翳に富んでいる。
つまり何回聴いても飽きない曲なのだ。
21か22くらいに初めてこの曲を知ったときはカセットでマイベストテープを作るときに、必ずいれていた。
ロニー・レーンは、ニック・ロウ、キンクスのレイ・デイヴィス、とならんで僕の曲作りの師と仰いでいた。お師匠さんである。
だから3年前に亡くなったときはすごく悲しかった。
でもレコードの中のロニーは死なない。
情けなさ一杯の歌を、豊かに響かせる。
フェイセズ「ウー ララ」に収録。聴いてみてくれ。
11/3(金)
今まで、このページで掲載しているミュージシャンを紹介するのは、ちと、手前味噌かな?と思って控えていたのだが、やっぱりいいもんはいい。紹介せねば。
今日、当ページ掲載のざっくばらんすのライブに行って来た。正確に言うと今日は、リーダーのすみよしたけしとピアノの藤井美紀の二人でのライブである。
よかった。たいへんよかった。グルーヴィーないいのりである。歌も豊かだ。
今日は彼らのファンはあまり来ていないようで、対バンの客の方が多かったようだが、残ってみていた、初めてのお客さんをも引き込んでいた。当たり前である。あれだけの演奏をすれば。
彼は、本当の意味での「歌心」を持った数少ないシンガーである。もちろん今メジャーで活躍している人も含めての話だ。
今日は、ギターとピアノのみという編成のため、音の緊張感も高かった。
そしてまた、特筆物なのが、藤井美紀のピアノだ。こんなにグルーヴしまくるピアノ弾きはそうそういない。チャーが好きな奴に悪い奴はいない。
彼らの演奏は当ページの「MP3で聴きますかね」でダウンロードできる。
「笑顔くらべ」「わたしは海」必聴だ。
12月までには、もう1〜2曲掲載曲が増える。
是非聴いてほしい。ライブにも来て欲しい。
また年内にはレーベル・サンプラーのCDを出す予定だ。当然彼らの曲も入る。
乞うご期待。
11/2(木)
ほぼ毎日連載のこのコーナー、3ヶ月目に突入だ。日記だってそんなにちゃんとつけたことないのにね。たいしたもんだ。
昨日、旧友にすごく久しぶりに会えた。ネットつながりで知り合った人のページから、縁がひろがっていったのだ。
久々にあった彼は、ものすごく変わっていた。すごくなっていた、というのが正解かもしれない。
もちろん人は常に変化している。成長する奴もいれば、20代前半にしてすでに退化が始まってる奴もいる。人はどんなポジションで、どんな方向を向いているかで変わっていく。
だが、彼はそういうわかりやすい変わり方ではなく、「クロスロードで悪魔に魂を売ってきた」という類の変化だった。もちろんイヤな奴になっていたというわけではない。人あたりのいい感じはそのままだった。
だが、「あのかんじ」は普通に漫然と過ごしていたのでは、絶対に身に付かない。
多分僕と縁遠い間に、「彼なりの地獄」と向き合って、しかもそこから帰ってきたのだろう。
ま、ちょっと大袈裟かもしれない。持ち上げすぎかもしれない。
彼にこの文章を読ませたら、「やめてくださいよ〜」と笑いながら言うだろう。
今日のお薦めはその彼、長谷川直樹の音が聞けるオン・ザ・ストリートレーベルのオムニバスCD「アコースティック・ナイト」だ。
自主盤なので、店頭では、手に入らない。欲しい人は相模の風の掲示板に書き込んでもらうか、ここ から相模の風あてにメールを。こちらで責任を持ってとりまとめ、レーベル側に伝え、あなたの手元に届くようにする。
当然買いだ。
2000年9月の「Quappaの今日のお薦め」を見る
2000年10月の「Quappaの今日のお薦め」を見る